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2019年8月27日 (火)

新帰元

微笑院慈恵法悦大姉

みしょういんじけいほうえつだいし

 

https://hougakumasahiko.muragon.com/entry/42.html

 

えっちゃん生い立ちインタビュー篇

https://www.youtube.com/watch?v=aIwnSdyUkcA

20190728岩国ホームコンサート

https://youtu.be/pz1G-PTEt60

 

> 慈愛善行 「水子供養」
> 著者 仏教文化研究会
> 発行人 岡本 健
> 編集人 土屋 雅昭
> 製版所 近土写真製版株式会社
> 印刷所 株式会社 三和印刷所
> 発行所 ひかりのくに株式会社
>      大阪市天王寺区上本町3-2
>      東京都板橋区高島平6-1-1


直指庵じきしあん

洛西・嵯峨

庵主 広瀬善順尼(発刊当時)
庵縁起
 隠元禅師「直指人心見性成仏じきしにんしんけんしょうじょうぶつ」江戸時代開庵
 津崎村岡局つざきむらおかのつぼね幕末に再興
 広瀬順善尼明治中後期女学校卒後すぐ出家昭和戦前入庵して『想い出草』ノートで女性の駆け込み寺・泣き込み寺となった。

https://travel.mar-ker.com/%E7%9B%B4%E6%8C%87%E5%BA%B5

『慈愛善行 水子供養』から引用116頁から119頁まで
「お盆(盂蘭盆会)」
 お盆や春秋のお彼岸は「仏教週間」であり、亡き人をしのぶ特別な期間です。水子の場合もまた例外ではありません。
 私達は普段「日常」に追われています。目先だけのことを処理するのが精一杯です。そういう日々を送っていると、いつまでもこの日常が続いていくように錯覚します。そういうところへ、突如として「非日常」が訪れます。肉親の死です。
 水子も同じです。お母さんの胎内で育ちつつあったひとつの「生命」が消えたのです。ただ、水子でも人工流産の場合に限っていえば、ほかと違う点は、生殺与奪と死の日時を人間が決定することでしょう。そして、その出来事に対する悲しみが、普通の肉親の死に出会ったときと違い、大方は後から訪れてくることです。
 肉親の死に出会ったとき、別れた人のために、どのような供養でもしてあげたいと思います。その思いは、しばらくの間持続します。水子への罪や悲しみを自覚したときも同じです。ところが、日時が経つうちに、やがて風化してきます。いつか元の「日常」に戻っているのです。そうでなければ生きて行けないからです。
 お盆やお彼岸は、日常性の中に埋没してしまっている私達を、深い悲しみに陥った最初の気持ちに立ちかえらせる、特別な期間なのです。お盆もお彼岸も、ともに「この世」に対する「あの世」を意味する言葉です。お盆は地獄、お彼岸は極楽浄土です。わが国においてこの期間、お寺参りやお墓参りが盛んになったのは、亡き人が旅立っていった「あの世」への思いをはせ、仏教徒としての自覚を深めるという姿勢が伝統の中に定着したのです。
 不幸にして、水子を出した人、罪の意識に泣いた方は、この期間こそ、最初の悲しみに立ちかえりたいものです。

■お経に説かれたお盆のいわれ
 これは「ウラバナ」という梵語(古代インド語)からきたもので、漢訳すれば「倒懸」です。倒懸ーーーつまり、さかさまに掛けるの意味であり、そういう苦しみを味わわねばならない地獄の世界を表しています。
 盂蘭盆経というお経に、次のような話があります。
 お釈迦様の弟子の中に、目連という心のやさしい人がいました。目連は、すでにこの世にはいない母親のことをひとときも忘れることができませんでした。そこで、お釈迦様の神通力でもって、今亡き母がどのようにしているかを教えてもらうことになりました。結果は、目連の願いとはうらはらに、亡き母は餓鬼道(地獄)におちて気の遠くなるような責め苦を受けているとのことです。
 母親は、わが子である目連に対しては、ほんとうにやさしい人でした。でも、いざ他人に対しては、例えば、息もたえだえの物もらいがやってくると、家にはあり余るほどの食べ物があるにもかかわらず、ものすごいけんまくで追い払うというような人でした。だから、そのむくいとして地獄で苦しい目に遭わされているのです。
 このことを知った目連は、悲嘆にくれました。それでも何とかして母を地獄から救えないものかと、再びお釈迦様にお願いしたのでした。かわいそうに思ったお釈迦様は、目連にひとつの方法を授けました。それは、目連が、目連自身のために仏法を説き、この世のすべての苦痛を克服した解脱の境地に入ることでした。また、夏安居(出家僧が一定期間、一室にこもって修行する)の最終日にあたる七月十五日に、亡き母の救済を祈念する供養のごちそうを、修行僧達に施すことでした。
 目連は、お釈迦様の仰せに従ってごちそうをお盆のうえに盛って修行僧たちに施したのです。修行僧たちはおおいに喜びました。するとどうでしょう。目連は、母親がその功徳によって、地獄から天上界に昇っていく姿を、はっきりと目にすることができたのでした。
 このような、お経に説かれた説話にちなんで、お盆には、ご先祖や亡き父母のお墓参りをする習慣が起こったといわれます。
 水子も目連のお母さんと同じかもしれません。両親の罪を背負って,地獄で苦しい目に遭っているのかもしれません。そのような水子に安らかに眠れと、お盆には必ず、供養するようにつとめます。(引用ここまで)

令和元年八月二十五日俗名豊岳悦子還浄新帰元未生院慈恵法悦大姉法要に玉野市築港日照山豊昌寺二世住職慈明和尚さま御詠歌目連尊者和讃ご供養の父母未生因縁拈華微笑無畏施真言
おんかかかびさんまえいそわか
おんころころせんだりまとうぎそわか
おんあろりきゃそわか
ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼぢそわかはんにゃしんきょう
あのくたらさんみゃくさんぼだいしん
なむさんぽうふにぶもおんじゅうぎょう

 


○悦子正道夫婦未生の第四子の西院河原地蔵和讃転生みぃちゃん
令和元年八月晦日豊岳則子撮影

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