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2019年3月 8日 (金)

勝鬘経ほか。

聖徳太子が仏教を解説講義した三経義疏のうちのひとつ勝鬘経は、女性がさとりを得て成仏する教えです。

1600年前の昔から日本全国に建てられた寺院において全国の大和民族婦女子がこの教えを聞くことになった。

上杉鷹山公が参姫への手紙で示した婦徳の道は世尊の前で誓願した勝鬘夫人の教えそのものです。その誓願は次の通りです。
 

仏教聖典 なかま 第二章生活の指針 第二節女性の生き方 文庫本p227
 
 六、勝鬘経
 
 さとりの道においては、男と女の区別はない。
女も道を求める心を起こせば、「さとりを求める者」といわれる。
 
 プラセーナジット(波斯匿はしのく)王の王女、アヨーディヤー国王の妃(きさき)、マッリカー(勝鬘しょうまん)夫人(ぷにん)は、このさとりを求める者であって、深く世尊の教えに帰依し、世尊の前において、次の十の誓いを立てた。
 
 「世尊よ、私は、今からさとりに至るまで、
 
(一)受けた戒を犯しません。
 
(二)目上の方々を侮(あなど)りません。
 
(三)あらゆる人びとに怒りを起こしません。
 
(四)人の姿や形、持ち物に、ねたみ心を起こしません。
 
(五)心の上にも、物の上にも、もの惜しみする心を起こしません。
 
(六)自分のために財物をたくわえず、受けたものはみな貧しい人びとに与えて、幸せにしてあげます。
 
(七)施しや、優しいことばや、他人に利益を与える行いや、他人の身になって考えてあげることをしても、それを自分のためにせず、汚れなく、あくことなく、さまたげのない心で、すべての人びとをおさめとります。
 
(八)もし孤独の物や、牢獄につながれている者、または病に悩む者など、さまざまな苦しみにある人びとを見たならば、すぐに彼らを安らかにしてあげるために、道理を説き聞かせ、その苦しみを救ってあげます。
 
(九)もし生きものを捕らえ、または飼い、あるいはさまざまな戒を犯す人を見たならば、わたしの力の続く限り、懲らすべきは懲らし、諭すべきものは諭して、それらの悪い行いをやめさせます。
 
(十)正しい教えを得ることを忘れません。
正しい教えを忘れる者は、すべてにゆきわたるまことの教えから離れて、さとりの岸にゆくことができません。
 
 わたしはまた、この不幸な人びとを哀れみ救うために、さらに三つの願いを立てます。
 
(一)わたしはこのまことの願いをもって、あらゆる人びとを安らかにしてあげます。
そして、その善根によって、どんな生を受けても、そこに正しい教えの智慧を得るでありましょう。
 
(二)正しい教えの智慧を得たうえは、あくことなく、人びとに説いて聞かせます。
 
(三)得たところの正しい教えは、体と命と財産を投げ捨てて、必ず守ります。
 
 家庭の真の意義は、相たずさえて道に進むところにある。
婦人といえども、この道に進む心を起こして、このマッリカー夫人のように大きな願いを持つならば、まことに、すぐれた仏の弟子となるであろう。
 
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仏教聖典_なかま_第二章、生活の指針_第二節、女性の生き方・・・p221~
 
 一、パーリ、増支部四-一九七
 
 世の中には四通りの婦人がある。第一種の婦人は、ささいなことにも腹立ちやすく、気まぐれで、欲深く、他人の幸福を見てはそねみ、施すことを知らない。
 
 第二種の婦人は、腹立ちやすく、気まぐれで、欲深いが、他人の幸福をうらやみねたむことがなく、また施すことを知っている。
 
 第三種の婦人は、心広く、みだりに腹を立てない。また、気まぐれでもなく、欲を抑えることを知ってはいるが、しかし、他人をうらやみねたむ心が取れず、また施すことを知らない。
 
 第四種の婦人は、心広く、腹を立てることがなく、欲を抑えて落ち着きがあり、そして他人をうらやまず、また施すことを知っている。
 
 
 二、パーリ、増支部五-三三
 
 娘が嫁入るときには、次の心がけを忘れてはならない。
 
 夫の両親に敬い仕えなければならない。夫の両親は、わたしども二人の利益を計り、なさけ深く守ってくださる方であるから、感謝して仕え、いつでもお役に立つようでありたい。
 
 夫の師は夫に尊い教えを授けてくださるから、自分もまた大切に尊び敬ってゆこう。人として心の師を持たずに生きられないからである。
 
 夫の仕事に理解をもってそれを助けてゆくように、自分も教養に心がけよう。夫の仕事を他人の仕事のように考えてそれに無責任であってはならない。
 
 夫の家の使用人や出入りの人たちについても、よくその気立てや能力や食べ物の好みなどを心得て、親切に面倒を見てゆこう。また夫の収入は大切にたくわえ、決して自分のために無駄遣いしないように心がけよう。
 
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上記の第二項は、上杉鷹山の参姫への手紙と全く同一内容です。鷹山は武士の必須の嗜みとして細川平洲に師事して学んだ朱子学の四書五経を引用していますが、実は中国支那に仏教が伝えられて以来それまで支那帝国にあった老子の道教も孔子の儒教もみな人天の師釈尊が説いた仏教の門下に入りました。これはファンタジーではない厳然たる歴史の事実です。山岡鉄舟も参禅した幕末の臨済宗今北洪川禅師が岩国藩永興寺(ようこうじ)住職時の著書『禅海一瀾』において詳述しております。
 
また第二項の最後から二番目の一文は、江戸幕府を開いた徳川家康の同志となった伊達政宗が、武士道のもてなし「御馳走」について言い残した言葉と心軌を一にするものです。「日本武将列伝4天下統一編」桑田忠親著:秋田書店刊p209政宗の教養から転記します。
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政宗の教養
 
 政宗は、和歌に巧みで、書を能(よ)くし、また、能楽・茶の湯の嗜みもあった。殊に茶の湯は、これを古田織部に学んだといわれる。政宗が織部に茶事を依頼した書状もあるし、また、政宗に出した織部の返信も現存する。『命期集(みょうごしゅう)』というのは、政宗に関する逸話を集めた書物であるが、そのなかに、茶道に関する記事は、比較的少ない。ただ、振舞(ふるまい)料理にまつわる、次のような逸話が伝えられている。
 
 政宗は、江戸に参勤しているときは、いうまでもないが、国もとの仙台で下々(しもじも)の者に茶を振舞うときにも、前日から、掃除、道具万端の用意を家臣に命じ、夜の内から寝所を出た。そうして、---
 
---かりそめにも、人に振舞うとあらば、料理を第一と心得よ。亭主が勝手(台所)にはいって吟味もせず、粗末な料理を出し、さしあたり虫気(むしけ)でもあったならば、その心痛はいかばかりであろうか。そのようなことになるくらいならば、初めから客を招かないほうがましである。むかしは、何びとを招くにも、その人の好む物の有無を尋ね、嫌いな物をのけて、料理をしたから、気らくだった。ところが、近頃では、そのような考えがなくなってしまったため、なんとも、不安である。人は、身分の高下によらず、客を馳走するために、さまざまな食物を沢山に出すのは、まったく無用なことだ。一種か、二種か、品をととのえ、それに、ちょっとした物を添えるのがよい。亭主が自ら料理して、盛り物ならば、そのまま座敷へ持ち出すのがいい。珍しい物をいろいろと並べて出すよりも、このほうが、はるかにましだ。すずやかに、物ごとをきれいにするのが、何よりの御馳走であろう。いろいろな食物を百種も千種も取り揃えて三度も振舞うよりは、なんとも目にたたぬ物を、一種か二種ずつ出し、それが季節に合っているのが、好ましい---
 
---と、説明したという。
 
 心のこもった、軽い料理をよしとしたもので、政宗が茶道の奥義を究めていた証拠とも見られる。
 
______転記終わり
 
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仏教聖典_なかま_第二章、生活の指針_第二節、女性の生き方・・・p223~
 
 三、ビルマ仏伝
 
 夫婦の道は、ただ都合によって一緒になったのではなく、また肉体が一つ所に住むだけで果たされるものでもない。夫婦はともに、一つの教えによって心を養うようにしなければならない。
 
 かつて夫婦の鑑とほめたたえられたある老夫婦は、世尊のところに赴いて、こう言った。「世尊よ、わたしどもは幼少のときから互いに知り合い、夫婦になったが、いままで心のどのすみにも、貞操のくもりをやどしたことがない。この世において、このように夫婦として一生を過ごしたように、後の世にも、夫婦として相まみえることができるように教えて戴きたい。」
 
 世尊は答えられた。「二人ともに信仰を同じくするがよい。一つの教えを受けて、同じように心を養い、同じように施しをし、智慧*を同じくすれば、後の世にもまた、同じく一つの心で生きることができるであろう。」
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---用語解説p320 *智慧*(般若prajna)---
 
 普通に使われている”知恵”とは区別して、わざわざ仏教では”般若”の漢訳としてこの言葉を用いているが、正邪を区別する正しい判断力のことで、これを完全に具えたものが”仏陀(ぶつだ)”である。単なる知識ではなく、あらゆる現象の背後に存在する真実の姿を見抜くことのできるもので、これを得てさとりの境地に達するための実践を”般若波羅密”という。
 
---p321 *波羅密*(paramita)---
 
 パーラミターという梵語の漢音写で、”度”とか”到彼岸”と訳される。此(こ)の迷いの岸である現実の世界から彼(か)のさとりの岸である仏の世界へと渡してくれる実践行のことで、普通六波羅密(ろっぱらみつ)といって、六種類があげられる。布施(ほどこし)・持戒(どうとく)・忍辱(がまん)・精進(どりょく)・禅定(せいしんとういつ)・智慧(ただしいはんだん)のことで、日本では、春秋の”彼岸”とよばれる行事は、これらを実践するということから名づけられた。
 
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 四、パーリ、増支部七-五九、玉耶經
 
 アナータピンダダ(給孤独ぎっこどく)長者の長子に嫁いだスジャータ-(玉耶ぎょくや女)は、驕慢(きょうまん)であって他を敬うことを知らず、父母や夫の命に従わず、いつも一家の波風を起こすもととなっていた。
 
 ある日、長者の家に入ってこの有様を見た釈尊は、その若い妻のスジャーターを呼んでこう教えた。
 
 スジャータ-よ、世には七種の妻がある。
 
 第一は、人殺しのような妻で、汚れた心を持ち、夫に対して敬愛の思いがなく、はては他の男に心を移す妻である。
 
 第二は、盗人のような妻で、夫の仕事に理解を持たず、自分の虚栄を満たすことだけを考え、口腹(こうふく)の欲のために、夫の収入を浪費し、夫のものを盗む妻である。
 
 第三は、主人のような妻で、家政のことをかえりみず、自分は怠惰であって口腹の欲にだけ走り、常に荒々しいことばで、夫を叱咤している妻である。
 
 第四は、母のような妻で、夫に対して細やかな愛をいだき、母が子に対するように夫を守り、夫の収入を大切にする妻である。
 
 第五は、妹のような妻で、夫に仕えて誠を尽くし、姉妹に対するような情愛と、慚愧(ざんぎ)の心をもって夫に仕える妻である。
 
 第六は、友人のような妻で、常に夫を見て喜ぶことは、ちょうど久しぶりに会った友に対するようであり、行いは正しくしとやかに、夫を敬う妻である。
 
 第七は、女中のような妻で、よく夫に仕え、夫を敬い、夫のどんな行いをもよく忍び、怒りも恨みも抱(いだ)かず、常に夫を大切に生かしてゆこうと努める妻である。
 
「スジャータ-よ、おまえはこのうち、どの類(たぐい)の妻になろうとするのか。」 
 
 この教えを聞いたスジャータ-は、大いにわが身を恥じて懺悔(さんげ)し、これから後は女中のような妻となって夫を助け、ともに道を修めてゆこうと誓った。
 
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 五、長阿含經第二・遊行經
 
 アームラパーリーは、ヴァイシャリーの名高い娼婦であり、自ら大勢の娼婦をかかえている主人であった。あるとき、この女がよい教えを聞こうとして仏*を訪れた。
 
 釈尊はこの女にこう教えられた。
 
「アームラパーリーよ、女は心の乱れやすいもの、行いの間違いやすいものである。欲が深いから、惜しむ心ねたむ心が強い。男に比べて、障害の多いものといわなければならない。
 
 だから、女は男に比べて、道に進むことが困難である。まして年若くて容色の美しい者はなおさらである。財と色との誘惑にうち勝って、道に進まなければならない。
 
 アームラパーリーよ、女にとって強い誘惑である財と色は、決して永久の宝ではない。たださとりの道だけが、永久(とこしえ)にこわれない宝である。強い者も病に犯され、若い者も老いに破れ、生は死に脅(おびや)かされる。また愛する者と離れて、恨みある人と一緒にいなければならないこともあり、そして求めることも、とかく思うようにならない。これが世のならわしである。
 
 だから、この中にあっておまえの守りとなるものには、たださとりの道がある。急いでこれをもとめなければならない。」
 
 この教えを聞いた彼女は、仏弟子となり、教団*に美しい庭園を寄進した。
 
---p321 *仏(ぶつ)*(仏陀・Buddha)---
 
 梵語の”さとれるもの”という意味の単語を漢字に音写したものが”仏陀”で、その省略が”仏”であり、”ほとけ”とも読ませる。普通”覚者”・”正覚者”と漢訳され、もともとは、仏教の創始者である”釈迦牟尼仏(ゴータマ・シッダルタ)”を指した。仏教の目的は、各人がみなこの”仏”の状態に到達することで、その手段や期間等の違いによって宗派が分かれている。
 大乗仏教の場合、歴史上の仏である釈迦牟尼仏の背後に、種々な永遠の仏の存在が説かれるようになる。例えば、阿弥陀仏・大日如来・毘盧遮那仏・薬師如来・久遠実成の釈迦如来といった仏が、各宗派の崇拝の対象とか教主として説かれている。
 なお日本では、死者のことを”ほとけ”とよぶが、これは浄土教の”往生成仏”思想の影響で、死者が浄土に生まれ、そこで”仏”に成るという信仰に由来する。
 
---p317 *教団*僧伽(samgha)---#本の記載が気に入らないので豊岳が改変した。
 同じ釈尊の教えに帰依して集まった人びとの集団をいう。初期仏教において、出家者(比丘・比丘尼)集団を僧伽(サンガ)と称した。
 
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江戸時代以前の政教分離仏教国母子保護日本の真実の歴史「温故知新」2
(3)次は仏教徒武士道菩薩上杉鷹山水戸斉昭、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛、山岡鉄舟、田中正造が心服師事した先達仏教徒武士)がしたためた孫娘「参姫への手紙」
http://blog.goo.ne.jp/newgenerations/e/b60ef7447b10ffe409c0156faa40a4b5#comment-list
 
仏法武士道の鑑上杉鷹山公「参姫への手紙」=実在の史料です。
 
上杉鷹山公が隠居後に江戸屋敷の新しい藩主に嫁ぐことになった孫娘(参姫二十歳)に藩主の妻たるべきものの心得を懇切丁寧に説いて手紙にしたためました。
「上杉鷹山に学ぶ」鈴村進著(三笠書房)から著者による現代語訳文を長文乍ら全文転載します。
「人は三つのことによって、成育するものである。父母によって生まれ、師によって教えられ、君によって養われるのである。これはすべて深い恩なのだが、その中で最も深く尊いのは父母の恩である。これは山よりも高く、海よりも深いものであって、これに報いることはとてもできないが、せめてその万分の一だけでもと、心の及ぶだけ、力の届くだけを尽くし、努めることを孝行という。
 その仕方にはいろいろあるが、結局は、この身が天地の間に生まれたのは父母の高恩であり、この身は父母の遺体であることを常に忘れず、真実より父母をいとおしみ、大切にする心に少しの偽りもないことが、その根本である。ここに誠実さがあれば実際に多少の手違いがあっても、心が届かぬということはないものである。このことは、自分は徳がないからとても行き届きません、と遠慮すべきではない。その気になって、できる限りのことを十分に努めるべきである。そうしておれば、やがては徳も進み、相手に心が達するものである。あらん限りの力をもって尽くされたい。
 男女の別は人の道において、大きな意義のあるところである。男は外に向かって外事をし、女は内にあって、内事を治めるものである。国を治め、天下の政(まつりごと)を行うといえば、大変なことのように思われるであろうが、天下の本は国であり、国の本は家である。家がよくととのえられるためには、一家の男女の行いが正しいことがその根本となる。根本が乱れて、末が治まることはありえない。
 普通に考えれば、婦人は政治には関係がないと思われるであろうが、政治の本は一家の中から起こることであり、身を治め徳を積み、夫は妻の天であってこの天にそむいてはならない。これを常に心に銘記して恭敬を忘れず、夫に従順であれば、やがては政事を輔(たす)けることとなるものである。
 あなたはまだ稚(おさな)いので、人々から程遠い奥向きで徳を積んでみても、その影響が一国に及ぶはずがないと思われるであろう。しかし、感通とは妙なもので、人に知られず身を修めていると、いつかはそれが知られて、効果が大いに表われることは疑いのないところである。『鶴九皐に泣いて声天に聞こゆ(かく、きゅうこうにないて、せい、てんにきこゆ ・・・鶴は奥深い谷底で鳴いても、その気品ある泣き声は天に届く。つまり優れた人物はどこに身を隠しても、その名声は自然に広く世間に知れ渡るというたとえ)』と詩経に書かれているのはこのことである。奥向きで正しく徳のある行いをしておれば、一国の賢夫人と仰がれるようになる。そうなれば、あなたの行いによって人々が感化されないはずがない。誠があれば、それは決して隠れたままにはならない。ひたすら努めに努められよ。
 年が若いので、時折美しい着物を着たいと思われることもあるだろう。それも人情ではあるが、少しでもそんなことに心を動かして、これまでの質素な習慣を失うことのないよう、『終わり有る鮮し(詩経の大雅・蕩 「初め有らざること靡(な)し 克(よ)く終わり有ること鮮(すくな)し」 ・・・何事でも、初めはともかくもやっていくが、それを終わりまで全うするものは少ない) 』の戒(いまし)めを守られるべきである。そうすれば、いつまでも従来の質素な習慣は続けられるであろう。そして、養蚕女工のことを思い、一方では和歌や歌書などを勉強されたい。しかし、ただ物知りになったり、歌人になったりしようなどとは考えるべきではない。学問は元来、自分の身を修める道を知るためのものである。昔のことを学んで、それを今日のことに当てはめ、善いことを自分のものとし、悪いことは自分の戒めとされよ。和歌を学べば、物の哀れを深く知るようになり、月花に対して感興を深くし、自然に情操を高めることとなるであろう。
 くれぐれも両親へ孝養を尽くし、その心を安んじるとともに、夫に対しては従順であり、貞静の徳を積み、夫婦睦まじく、家を繁栄させて、わが国の賢夫人と仰がれるようになってもらいたい。出発に際して、末永く祝うとともに、婦徳を望む祖父の心中を汲み取られよ。他へこそ行かないが、今日より後、いつ会えるかわからないので、名残り惜しく思う。
  武蔵野の江戸なる館へ赴きたまうはなむけに
   春を得て花すり衣(ごろも)重ぬとも わが故郷(ふるさと)の寒さ忘るな         はる憲」
 
____________
 
上杉鷹山がこの手紙で言う「婦徳」を身につけた婦人が、釈尊がいう「王よ、婦人といえども、ある人々は、実に男子よりも優れている。智慧があり、戒を保ち、姑を敬い、夫に忠実である。かの女の生んだ子は、英雄となり、地上の主となる。かくの如き、良き妻の子は、国家をも教え導くのである。」すなわち女人出家仏弟子比丘尼あるいは女人在家信者ウバイです。
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江戸時代以前の政教分離仏教国母子保護日本の真実の歴史「温故知新」1
江戸時代以前のわれわれのご先祖仏教徒庶民が地上に「実現した」ファンタジーでない母性と子ども保護社会。
 
(1)親父の小言より。
 
2.  朝、機嫌を良くしろ
3.  朝早く起きろ
9.  家内笑うて暮らせ
16.  年寄りをいたはれ
19.  女房の言ふ事半分聞け
20.  子の言ふ事は九ッ聞くな
22.  何事も我慢をしろ
23.  子供の頭を打つな
24.  己が股をつねれ *わが身をつねって人の痛さを知れ
28.  女郎を買ふな
29.  女房を探せ
30.  病人は労いたはれ
35.  年忌・法事をよくしろ
36.  親の日は万事慎め *親の年忌・命日には謹慎しろ
38.  子供はだまかせ *だまくらして上手に扱え
39.  女房に欺されるな
40.  博奕をするな
41.  喧嘩をするな
45.  世話焼きになるな   *世話とは、特に男女の夫婦縁固めの仲人のこと。他人の嫁を自分勝手に自分の都合良いように世話するな、人の恋路の邪魔をするな(そういう奴は馬に蹴られて死んでしまえ)、人情の赴くところ当人同士の自然の縁づきに任せろと言うこと(ここの解説は江戸時代の石頭仏教徒豊岳でした笑)
75.  身持ち女は大切にしろ *妊婦は大事にしろ
76.  産後は、なほ大切にしろ
______________
 
(2)次は法句經、釈尊の言葉から。
http://www.asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c149
「ブッダのことば」として中村元さんが邦訳
・・・

「世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。」

「母と父とは子らに対して多大のことをなし、育て、養い、この世を見せてくれた。」

「母、または父が老いて朽ち衰えていくのを養わないで、自らは豊かに暮らす人、これは破滅の道である。」

「親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである。」


「子らは、すみかであり、妻は最上の友である。」

「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」

「王よ、婦人といえども、ある人々は、実に男子よりも優れている。智慧があり、戒を保ち、姑を敬い、夫に忠実である。かの女の生んだ子(女の子)は、英雄となり、地上の主となる。かくの如き、良き妻の子は、国家をも教え導くのである。」

「自分よりも愛しいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛しい。故に自己を愛するものは、他人を害してはならない。」

「生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。」

「盛年をすぎた男がティンバル果のように盛り上がった乳房ある若い女を誘い入れて、かの女への嫉妬から夜も眠れない。これは破滅への門である。」 

「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって、得たものを、その度に失う人がいる。これは破滅の門である。」

「婦女の求めるところは、男性であり、心を向けるところは装飾品、化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である。」
・・・
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仏教聖典_おしえ_第四章 煩悩_第三節、現実の人生
三、パーリ、増支部三-六二

 世に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない三つの場合がある。
すなわち、大火災と大水害と、大盗難のときである。
しかし、この三つの場合においても、ときとしては、母と子が互いに助け合う機会がある。

 ところがここに、母は子を絶対に救い得ず、子も母を絶対に救い得ない三つの場合がある。
それは、老いの恐れと、病の恐れと、死の恐れとの襲い来たったときのことである。

 母の老いゆくのを、子はどのようにしてこれに代わることができるであろうか。
子の病む姿のいじらしさに泣いても、母はどうして代わって病むことができよう。
子どもの死、母の死、いかに母子であっても、どうしても代わりあうことはできない。
いかに深く愛しあっている母子でも、こういう場合には絶対に助けあうことはできないのである。
 

五、パーリ、長老尼偈註

 裕福な家の若い嫁であったキサゴータミーは、そのひとり子の男の子が、幼くして死んだので、気が狂い、冷たい骸(むくろ)を抱いて巷(ちまた)に出、子どもの病を治す者はいないかと尋ね回った。

 この狂った女をどうすることもできず、町の人びとはただ哀れげに見送るだけであったが、釈尊の信者がこれを見かねて、その女に祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の釈尊のもとに行くようにすすめた。
彼女は早速、釈尊のもとへ子どもを抱いて行った。

 釈尊は静かにその様子を見て、「女よ、この子の病を治すには、芥子(けし)の実がいる。町に出て四・五粒もらってくるがよい。しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない。」と言われた。

 狂った母は、町に出て芥子の実を求めた。
芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家は、どこにも求めることができなかった。
ついに求める芥子の実を得ることができず、仏のもとにもどった。
かの女は釈尊の静かな姿に接し、初めて釈尊のことばの意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい骸を墓所(ぼしょ)におき、釈尊のもとに帰ってきて弟子となった。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「無我(むが)」


仏教聖典_はげみ_第一章さとりへの道_第三項仏のたとえ
十、雑宝蔵経

 ひとりの人が旅をして、ある夜、ただひとりでさびしい空き屋に宿をとった。
すると真夜中になって、一匹の鬼が人の死骸をかついで入ってきて、床の上にそれを降ろした。

 間もなく、後からもう一匹の鬼が追って来て、「これはわたしのものだ。」と言い出したので、激しい争いが起こった。

 すると、前の鬼が言うには、
「こうして、おまえと争っていても果てしがない。証人を立てて所有をきめよう。」

 後の鬼もこの申し出を承知したので、前の鬼は、先ほどからすみに隠れて小さくなって震えていた男を引き出して、どちらが先にかついで来たかを言ってくれと頼んだ。

 男はもう絶体絶命である。
どちらの鬼に味方しても、もう一方の鬼に恨まれて殺されることはきまっているから、決心して正直に自分の見ていたとおりを話した。

 案の定、一方の鬼は大いに怒ってその男の手をもぎ取った。
これを見た前の鬼は、すぐ死骸の手を取って来て補った。
後の鬼はますます怒ってさらに手を抜き足を取り、胴を取り去り、とうとう頭まで取ってしまった。
前の鬼は次々に、死体の手、足、胴、頭を取って、みなこれを補ってしまった。

 こうして二匹の鬼は争いをやめ、あたりに散らばった手足を食べて満腹し、口をぬぐって立ち去った。

 男はさびしい小屋で恐ろしい目にあい、親からもらった手も足も胴も頭も、鬼に食べられ、いまや自分の手も足も胴も頭も、見も知らぬ死体のものである。
一体、自分は自分なのか自分ではないのか、まったくわからなくなった男は、夜明けに、気が狂って空き屋を立ち去ったが、途中で寺を見つけて喜び勇み、その寺に入って、昨夜の恐ろしいできごとをすべて話し、教えを請うたのである。
人びとは、この話の中に、無我(むが)の理(ことわり)を感得し、まことに尊い感じを得た。


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仏教聖典用語解説

*無我(anartman)*****
 仏教の最も基本的な教義の一つで、「この世界のすべての存在や現象には、とらえらるべき実体はない」ということである。
それまでのインドの宗教が、個々の存在の実体としての”我”(アートマン)を説いてきたのに対し、諸行無常を主張した仏教が、”永遠の存在ではあり得ないこの世の存在や現象に実体があるわけがない”と説いたのは当然である。
なお”我”は他宗教で言う霊魂にあたるといえる。
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