興禅大燈國師遺誡
興禅大燈國師遺誡
汝等諸人此の山中に来つて道の為に頭を聚む。
衣食の為にする事なかれ、
肩有つて着ずと云ふ事なく、
口有つて食はずと云ふこと無し。
只須らく十二時中無理會の處に向つて、
究め来り究め去るべし、
光陰箭の如し、謹んで雑用心すること莫れ、
看取せよ看取せよ。
老僧行脚の後或は寺門繁興佛閣経巻、金銀を鏤め、
多衆閙熱 或は誦経諷呪 長座不臥 一食卯斎 六時行道、
直饒 恁麼にし去ると雖も、
佛祖不傳の妙道を以て、
胸間に掛在せずんば忽ち因果を撥無し、
眞風地に墜つ、皆是れ邪魔の種族なり。
老僧 世を去る事久しくとも 兒孫と称する事を許さじ。
或は一人有り野外に綿絶し、
一把茅底 折脚鐺内に 野菜根を煮て喫して日を過すとも
専一に己事を究明する底は、老僧と日々相見 報恩底の人なり、
誰か敢て軽忽せんや。
勉旃。勉旃。
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1【勝谷誠彦ウクライナレポート『血気酒会』緊急開催】
youtube.com/watch?v=BxDPirsR68M&t=1572s
プーチン大統領が世界でただ一人真実を語っている。
親孝行親切手伝い日本人勝谷誠彦氏が2014年証言した。
日本人がウクライナ政府に無法な軍隊暴力で虐待されたロシア語ウクライナ国民の被害を自分の手で助けようと思うなら、
直ちにドル国債700兆円一括売却し、
且つ、
直ちに日米地位協定破棄せよ。
2【特別司法公務員警察検察裁判官憲法違反汚職の罪は刑法極刑で迅速公開処刑する。】
hougakumasahiko.muragon.com/entry/645.html
【考察系YouTuber】氷室英介の事件考察ch
#未解決事件「豊明母子4人◯害事件」#事件考察 #事件 #愛知県警
youtube.com/watch?v=xEanehBu1Ng
豊岳正彦
警察の汚職に慣れすぎた無能は傲慢の罪に陥ることによって汚職の極致「故意の殺人」に至る。それは国家反逆罪だ。博人さんは警察の傲慢によってその心を拷問され残虐に虐待され社会人として親心を殺されたのである。これが警察の汚職特別司法公務員暴行陵虐殺人罪である。氷室氏よ、君は警察の犯罪を告発しなければならないのだ。医者と弁護士と公務員の汚職は人を確実に殺すのだから。氷室君はその人間の真実をいやというほど知っているのだ。君は愛知県警をこそ第一に殺人の真犯人として告発しなければならない。君の勇気ある県警告発なら私も一緒に警察全体を日本国憲法違反国家反逆罪で名古屋高検特捜部と東京地検特捜部に汚職警察の憲法76条3項違反憲法36条違反職権乱用暴行陵虐殺人を告発し刑法極刑を以て必ず汚職警察に殺された一家五人の敵を討つであろう。
投稿: 豊岳正彦 | 2024年5月19日 (日) 02時35分
【勝谷誠彦ウクライナレポート『血気酒会』緊急開催】
youtube.com/watch?v=BxDPirsR68M&t=1572s
プーチン大統領が世界でただ一人真実を語っている。
親孝行親切手伝い日本人勝谷誠彦氏が2014年証言した。
日本人がウクライナ政府に無法な軍隊暴力で虐待されたロシア語ウクライナ国民の被害を自分の手で助けようと思うなら、
直ちにドル国債700兆円一括売却し、
且つ、
直ちに日米地位協定破棄せよ。
投稿: 豊岳正彦 | 2024年5月19日 (日) 01時18分
▼写経仏教聖典第237版なかま
https://hougakumasahiko.muragon.com/entry/112.html
▼仏教聖典第237版なかま第一章 人のつとめ 第一節 第二節 https://hougakumasahiko.muragon.com/entry/132.html
第一章 人のつとめ
第一節 出家の生活
一、わたしの弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財を捨てなければならない。
教えのためにこれらすべてを捨てたものはわたしの相続者であり、出家とよばれる。
たとえ、わたしの衣の裾(すそ)をとって後ろに従い、わたしの足跡を踏んでいても、欲に心が乱れているならば、その人はわたしから遠い。
たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。
教えを見ないものはわたしを見ないからである。
たとえ、わたしから離れること何千里であっても、心が正しく静かであり、欲を離れているなら、彼はわたしのすぐそばにいる。
なぜかというと、彼は教えを見ており、教えを見るものはわたしを見るからである。
二、出家の弟子は次の四つの条件を生活の基礎としなければならない。
一つには古布をつづり合わせた衣を用いなければならない。
二つには托鉢(たくはつ)によって食を得なければならない。
三つには木の下、石の上を住みかとしなければならない。
四つには腐尿薬(ふにょうやく)のみを薬として用いなければならない。
食物を入れる容器を手にして戸ごとに食を乞うのは乞食(こつじき)の行ではあるが、それは他人に脅(おびや)かされたためでもなく、他人に誘われ欺(あざむ)かれたためでもない。
ただこの世のあらゆる苦しみを免(まぬが)れ、迷いを離れる道がここで教えられることを信じてなったのである。
このように出家していながら、しかも欲を離れず、瞋(いか)りに心を乱され、五官を守ることができないとしたら、まことにふがいないことである。
三、自ら出家であると信じ、人に問われてもわたしは出家であると答えるものは、次のように言うことができるに違いない。
「わたしは出家としてしなければならないことは必ず守る。この出家のまことをもって、わたしに施しをする人に、大きな幸(さいわ)いを得させ、同時に、わたし自身の出家した目的を果たすようにしよう。」と。
さて、出家のしなければならないことは何であるか。
慚(ざん)と愧(ぎ)をそなえ、身と口と意(こころ)による三つの行為と生活を清め、よく五官の戸口を守って、享楽に心を奪われない。
また、自分をたたえて他人をそしるということをせず、怠(なま)けて眠りにふけることがない。
夕方には静坐(せいざ)や歩行をし、夜半には右わきを下に、足と足を重ね、起きるときのことをよく考えて静かに眠り、明け方にはまた静坐したり歩行したりする。
また日常生活においてもつねに正しい心でなければならない。
静かなところを選んで座を占め、身と心とをまっすぐにし、貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさ、眠け、心の浮つき、悔い、疑いを離れて心を清めなければならない。
このように心を統一して、すぐれた智慧を起こし、煩悩を断ち切って、ひたすらさとりに向かうのである。
四、もし出家の身でありながら、貪りを捨てず、瞋りを離れず、怨み、そねみ、うぬぼれ、たぶらかし、といった過ちを覆い隠すことをやめないなら、ちょうど両刃(もろは)の剣を衣に包んでいるようなものである。
衣を着ているから出家なのではなく、托鉢しているから出家なのではなく、経を誦(よ)んでいるから出家なのではなく、外形がただ出家であるのみ、ただそれだけのことである。
形がととのっても、煩悩をなくすことはできない。
赤子に衣を着けさせても出家とよぶことはできない。
心を正しく統一し、智慧を明らかにし、煩悩をなくして、ひたすらさとりに向かう出家本来の道を歩く者でなければ、まことの出家とは呼ばれない。
たとえ血は涸(か)れ、骨は砕けても、努力を加え、至るべきところへ至らなければならないと決心し、努め励んだならば、ついには出家の目的を果たして、清らかな行いを成しとげることができる。
五、出家の道は、また、教えを伝えることである。
すべての人びとに教えを説き、眠っている人の目を覚まさせ、邪見(じゃけん)な人の心を正しくし、身命(しんみょう)を惜しまず、広く教えをしかなければならない。
しかし、この教えを説くということは容易でないから、教えを説くことを志す者は、みな仏の衣を着、仏の座に坐り、仏の室に入って説かなければならない。
仏の衣を着るとは、柔和であって忍ぶ心を持つことである。
仏の座に坐るとは、すべてのものを空と見て、執着を持たないことである。
仏の室に入るとは、すべての人に対して大慈悲の心を抱くことである。
六、またこの教えを説こうと思う者は、次の四つのことに心をとどめなければならない。
第一にはその身の行いについて、第二にはそのことばについて、第三にはその願いについて、第四にはその大悲についてである。
第一に、教えを説く者は、忍耐の大地に住し、柔和であって荒々しくなく、すべては空*(くう)であって善悪のはからいを起こすべきものでもなく、また執着すべきものでもないと考え、ここに心のすわりを置いて、身の行いを柔らかにしなければならない。
第二には、さまざまな境遇の相手に心をくばって、権勢ある者や邪悪な生活をする者に近づかないようにし、また、異性に親しまない。
静かなところにあって心を修め、すべては因縁によって起こる道理を考えてこれを心のすわりとし、他人を侮(あなど)らず、軽んぜず、他人の過(あやま)ちを説かないようにしなければならない。
第三には、自分の心を安らかに保ち、仏に向かっては慈父の思いをなし、道を修める人に対しては師の思いをなし、すべての人びとに対しては大悲の思いを起こし、平等に教えを説かなければならない。
第四には、仏と同様に慈悲の心を最大に発揮し、道を求めることを知らない人びとには、必ず教えを聞くことができるようになってほしいと心に願い、その願いに従って努力しなければならない。
第二節 信者の道
一、仏教を信ずる者とは、三宝、すなわち、仏と教えと教団を信ずる者のことであるということは、すでに説いた。
だから、仏教を信ずる者は、仏と教えと教団に対して、破れることのない信を抱き、教えが命じている信者としての戒律を守らなければならない。
在家者としての戒とは、ものの命を取らず、盗まず、よこしまな愛欲にふけらず、偽りを言わず、酒を飲まないことである。
在家者は、この三宝に対する信と、在家者としての戒を保つとともに、他人にもこの信と戒を得させるようにしなければならない。
親戚、友人、知人の間に同信の人をつくるように努めなければならない。
そうすることによって彼らもまた仏の慈悲に浴(よく)することができる。
三宝に対する信を持ち、在家として戒を守ることは、さとりを得るためであるから、在家の愛欲の生活の中にあっても、愛着(あいぢゃく)に縛られないようにしなければならない。
父母ともついには別れなければならない。
家族ともついには離れなければならない。
この世もついには去らなければならない。
別れなければならないもの、去らなければならないものに心を縛られず、別離というもののない涅槃*に心を寄せなければならない。
二、仏の教えを聞いて、信が厚く、退くことがなければ、喜びは自然にわき起こる。
この境地に入れば、何ごとにも光を認め、喜びを見いだしてゆくことができる。
その心は清く柔らかに、常に耐え忍んで、争いを好まず、人びとを悩まさず、仏と教えと教団を思うから、喜びは自然にわきいで、光はどこにでも見いだされる。
信ずることによって仏と一体になり、我(が)という思いを離れているから、わがものを貪(むさぼ)らず、したがって、生活に恐れがなく、そしられることをいとわない。
仏の国に生まれることを信じているから死を恐れない。
教えの真実と尊さを信じているから、人びとの前に出ても、恐れることなく自分の信ずるところを言うことができる。
また慈悲を心のもととするから、すべての人に対して好ききらいの思いがなく、心が正しく清らかであるから、進んであらゆる善を修める。
また順調の時も逆境のときも信仰を増し、恥を知り、教えを敬い、言ったとおりに行い、行うとおりに言い、ことばと行いとが一致し、明らかな智慧をもってものを観(み)、心は山のように動かず、ますますさとりへの道に進むことを願う。
また、どんなできごとに出会っても、仏の心を心として人びとを導き、濁った世の中にも、汚れた人びとの間にも交わって、その人びとが善に遷(うつ)るように尽くすのである。
三、だから、だれでもまず自ら教えを聞くことを願わなければならない。
だれかが「この燃え立つ火の中へ入れば教えが得られる。」と言うなら、その火の中へ入る覚悟を持たなければならない。
世界に満ちた火の中に分け入って仏の名を聞くことは、まことにその人の救いだからである。
このようにして自ら教えを得て、広く施し、敬うべき人を敬い、仕えるべき人に仕え、深い慈悲の心をもって他人に向かわなければならない。
利己的であったり、思うままにふるまうのは、道を行う人の行ではない。
このようにして教えを聞き、教えを信じ、他人をうらやまず、他人のことばに迷うことなく、自分のするしないについて省みることが肝心であり、他人のするしないを心にかけてはならない。
何よりも自分の心を修めることが大切なのである。
仏を信じない人は、自分のことだけを思いわずらうから、心が狭く小さく、いつもこせこせと焦るのである。
しかし、仏を信ずる人は、背後の力、背後の大慈悲を信ずるから、自然に心が広く大きくなり、焦らない。
四、また、教えを聞く人は、もとよりこの身を無常なものと見、苦しみの集まるもとと見、悪の源と見るから、この身に執着しない。
しかしまた、この身を大切に養うことを怠らない。
それは楽しみを貪(むさぼ)るためではなく、道を得(え)、道を伝えるためである。
この身を守らなければ命をまっとうすることができず、命をまっとうしなければ、教えを受けて身に行うことも、また教えを広く伝えることもできない。
河を渡ろうとする者はよく筏(いかだ)を守り、旅をする人はよく馬を守るように、教えを聞く人はその身を大切に守らなければならない。
また仏を信ずる者は、着物を着るにも虚飾のためにせず、ただ羞恥(しゅうち)のためにし、寒さ暑さを防ぐためにしなければならない。
食物をとるにも楽しみのためにせず、身をささえ養って教えを受け、また説くためにしなければならない。
家に住むにも同じく、身のためにし、虚栄のためにしてはならない。
さとりの家に住み、煩悩の賊を防ぎ、誤った教えの風雨を避けるためと、思わなければならない。
すべてこのように、何ごとも身のためを思わず、他人に対してもおごる思いをせず、たださとりのため、教えのため、他人のためと思ってしなければならない。
だから、家にあって家族と一緒にいても、その心はしばらくも教えを離れない。
慈悲の心をもって家族に従っているが、手段を示して彼らに救いの道を教えるのである。
五、またこの仏教教団の在家者には、日常、父母に仕え、家族に仕え、自分に仕え、仏に仕えるいろいろな心がけがある。
すなわち、父母に仕えるときには、一切を守り養って、長く平和を得ようと思い、妻子と一緒にいるときには、愛着(あいぢゃく)の牢獄から脱しなければならないものと思わなければならない。
音楽を聞いているときには、教えの楽しみを得ようと思い、室にいるときは、賢者の境地に入って永く汚れを離れようと思わなければならない。
また、たまたま他人に施しをするときは、すべてを捨てて貪る心をなくそうと思い、集いの中にあるときには、諸仏の集いに入ろうと思い、災難にあったときには、どんなことにも動揺しない心を得ようと思わなければならない。
また仏に帰依(きえ)するときには、人びととともに大道(だいどう、たいどう)を体得(たいとく)して、道を求める心を起こそうと願い、
教え(法)に帰依しては、人びととともに深く教えの蔵に入って、海のように大きい智慧を得ようと願い、
教団(僧)に帰依しては、人びととともに大衆を導いて、すべての障碍(さわり)を除こうと願うがよい。
また、着物を着るなら、善根(ぜんごん)と慚愧(ざんぎ)を衣服とすることを忘れず、
大小便をするときは、心の貪りと瞋(いか)りと愚かさの汚れを除こうと願い、
高みに昇る道を見ては、無上の道へ昇って迷いの世界を越えようと思い、
低きに下る道を見ては、優しくへり下って奥深い教えへ入ろうと願うがよい。
また、橋を見ては、教えの橋を作って人を度(わた)そうと願い、
欲を楽しむ人を見ては、幻の生活を離れてまことのさとりを得ようと願い、
おいしい食物を得ては、節約を知り、欲を少なくして執着(しゅうぢゃく)を離れようと願い、
まずい食物を得ては、永く世間の欲を遠ざけようと願うがよい。
また夏の暑さの厳しいときには、煩悩の熱を離れて涼しいさとりの味わいを得たいと願い、冬の寒さの厳しいときには、仏の大悲(だいひ)の温(あたた)かさを願うがよい。
経を誦(よ)むときには、すべての教えを保って忘れないようにと願い、
仏を思っては、仏のようなすぐれた眼(まなこ)を得たいと願い、
夜眠るときには、身(からだ)と口と意(こころ)のはたらきを休めて心を清めようと願い、朝目覚めては、すべてをさとって、何ごとにも気のつくようになろうと願うがよい。
六、また仏教を信ずる者は、すべてのもののありのままの姿、すなわち、【空】(くう)の教えを知っているから、世の中の仕事、人間の間のいろいろのことを軽視せず、そのまま受け入れ、それをそのままさとりの道にかなうようにする。
人間の世界のことは迷いであって意味がなく、さとりの世界のことは尊い、という二つに分けることなく、世間すべてのできごとの中にさとりの道を味わうようにする。
無明(むみょう)に覆われた眼で見れば、世間は意味のない間違ったものとなるであろうが、智慧をもって明らかにながめると、そのままがさとりの世界になる。
ものに、意味のないものと意味のあるものとの二つがあるのではなく、善いものと悪いものとの二つがあるのでもない。
二つに分けるのは人のはからいである。
はからいを離れた智慧(般若*)をもって照らせば、すべてはみな尊い意味を持つものとなる。
七、仏教を信ずる者は、このようにして、仏を信じ、その信の心をもって世の中のことを尊く味わうが、またその心をもって、身をへり下らせて他人に仕える。
だから、仏教を信ずる者にはおごる心がなく、へり下る心、他人に仕える心、大地のようにすべてを載せる心、すべてに仕えていとわない心、すべての苦しみを忍ぶ心、怠(おこた)りのない心、すべての貧しい人びとに善根(ぜんごん)を施(ほどこ)す心が起こる。
このように、人びとの貧しい心を哀れみ、すべての人びとの慈母(じぼ、じも)となってその心を育てようとする心は、そのまま、すべての人びとを父母のように敬い、自分の尊い善き師として崇(あが)める心である。
だから、仏教を信ずる者に対して、たとえ、百千の人びとが怨みを起こし、敵視し、害を加えようとしても、その心のままになしとげることはできない。
例えば、どのような毒でも、大海の水を汚し損なうことができないようなものである。
八、仏教を信ずる者は、また、省みておのれの幸せを喜び、この仏を信ずる心はまったく仏の力によるものであり、仏のたまものであると感謝する。
また煩悩の泥の中には、信仰心の種はないのであるが、この泥の中に仏の慈悲が植えつけられて、仏を信ずる心となったことを、明らかに知る。
さきに説いたように、エーランダという毒樹の林に、チャンダナ【栴檀】(せんだん)香木の芽が生えるはずはなく、煩悩の胸の中に、仏を信ずる種が芽生えるはずはない。
しかも、いま現に芽生えて歓喜の花が煩悩の胸の中に開くのは、その根はそこになく、別のところにあると知られるのである。
その根は仏の胸の中にある。
仏を信ずる者も、我(が)の思いに立つときは、貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさの心から、他人をそねみ、ねたみ、にくみ、損(そこ)なったりする。
しかし仏に帰ると、いまいうような大きな仏の仕事をするようになる。
これはまことに、不可思議といわねばならない。
投稿: 豊岳正彦 | 2024年5月18日 (土) 03時56分
写経仏教聖典第237版なかま
2020/10/01 13:03
「仏教聖典_なかま_第一章、人のつとめ_
第一節、出家の生活」
・・p196~(パーリ-本事經一〇〇・中部一-三、法嗣經、パーリ、本事經九二、律蔵大品一-三〇、中部四ー三九・四〇馬邑大小經、法華経第一九法師品、法華経第一四安楽行品)
一、わたしの弟子になろうとするものは家を捨て世間を捨て財を捨てなければならない。
教えのためにこれらすべてを捨てたものはわたしの相続者であり、出家とよばれる。
たとえ、わたしの衣の裾をとって後ろに従い、わたしの足跡を踏んでいても、
欲に心が乱れているならば、その人はわたしから遠い。
たとえ、姿は出家であっても、彼は教えを見ていない。
教えを見ない者はわたしを見ないからである。
たとえ、わたしから離れること何千里であっても、
心が正しく静かであり、
欲を離れているなら、
彼はわたしのすぐそばにいる。
なぜかというと、彼は教えを見ており、
教えを見る者はわたしを見るからである。
二、出家の弟子は次の四つの条件を生活の基礎としなければならない。
一つには古布をつづり合わせた衣を用いなければならない。
二つには托鉢によって食を得なければならない。
三つには木の下、石の上を住みかととしなければならない。
四つには腐尿薬のみを薬として用いなければならない。
食物を入れる容器を手にして戸ごとに食を乞うのは乞食(こつじき)の行であるが、
それは他人に脅かされたためでもなく、
他人に誘われ欺かれたためでもない。
ただこの世のあらゆる苦しみを免れ、
迷いを離れる道がここで教えられることを信じてなったのである。
このように出家していながら、
しかも欲を離れず、
瞋(いか)りに心を乱され、
五官を守ることができないとしたら、
まことにふがいないことである。
三、自ら出家であると信じ、
人に問われてもわたしは出家であると答える者は、
次のように言うことができるに違いない。
「わたしは出家としてしなければならないことは必ず守る。
この出家のまことをもって、
わたしに施しをする人に、大きな幸いを得させ、
同時に、
わたし自身の出家した目的を果たすようにしよう。」
さて、
出家のしなければならないこととは何であるか。
慚(ざん)と愧(ぎ)をそなえ、
身と口と意(こころ)による三つの行為と生活を清め、
よく五官の戸口を守って、
享楽に心を奪われない。
また、
自分をたたえて他人をそしるということをせず、
怠けて眠りにふけることがない。
夕方には静座や歩行をし、
夜半には右わきを下に、
足と足とを重ね、
起きるときのことをよく考えて静かに眠り、
明け方にはまた
静座したり歩行したりする。
また
日常生活においても
つねに正しい心でなければならない。
静かなところを選んで座を占め、
身と心とをまっすぐにし、
貪り、
瞋(いか)り、
愚かさ、
眠け、
心の浮わつき、
悔い、
疑いを
離れて
心を清めなければならない。
このように心を統一して、
すぐれた智慧を起こし、
煩悩を断ち切って、
ひたすらさとりに向かうのである。
四、もし
出家の身でありながら、
貪りを捨てず、
瞋りを離れず、
怨み、
そねみ、
うぬぼれ、
たぶらかし、
といった
過ちを覆い隠すことをやめないなら、
ちょうど両刃(もろば)の剣を
衣に包んでいるようなものである。
衣を着ているから出家なのではなく、
托鉢しているから出家なのではなく、
経を誦(よ)んでいるから出家なのではなく、
外形がただ出家であるのみ、
ただそれだけのことである。
形がととのっても、
煩悩をなくすことはできない。
赤子に衣を着けさせても
出家とよぶことはできない。
心を正しく統一し、
智慧を明らかにし、
煩悩をなくして、
ひたすらさとりに向かう
出家本来の道を歩く者でなければ、
まことの出家とはよばれない。
たとえ血は涸れ、
骨は砕けても、
努力を加え、
至るべきところへ至らなければならないと決心し、
努め励んだならば、
ついには出家の目的を果たして、
清らかな行いを成しとげることができる。
五、また、
出家の道は、
教えを伝えることである。す
べての人びとに教えを説き、
眠っている人の目を覚まさせ、
邪見(じゃけん)な人の心を正しくし、
身命(しんみょう)を惜しまず、
広く教えを布(し)かなければならない。
しかし、この
教えを説くということは
容易でないから、
教えを説くことを志す者は、みな
仏の衣を着、
仏の座に坐り、
仏の室に入って
説かなければならない。
仏の衣を着るとは、
柔和であって
忍ぶ心を持つことである。
仏の座に坐るということは、
すべてのものを空(くう)と見て、
執着を持たないことである。
仏の室に入るとは、
すべての人に対して
大慈悲の心を抱くことである。
六、またこの
教えを説こうと思う者は、
次の四つのことに心をとどめなければならない。
第一にはその身の行いについて、
第二にはそのことばについて、
第三にはその願いについて、
第四にはその大悲についてである。
第一に、教えを説く者は、
忍耐の大地に住し、
柔和であって荒々しくなく、
すべては空(くう)であって
善悪のはからいを起こすべきものでもなく、また
執着すべきものでもないと考え、ここに
心のすわりを置いて、
身の行いを柔らかにしなければならない。
第二には、
さまざまな境遇の相手に
心をくばって、
権勢あるものや邪悪な生活をする者に
近づかないようにし、また
異性に親しまない。
静かなところにあって
心を修め、
すべては因縁によって起こる
道理を考えてこれを
心のすわりとし、
他人を
侮らず、
軽んぜず、
他人の
過ちを
説かないようにしなければならない。
第三には、自分の
心を安らかに保ち、仏に向かっては
慈父の思いをなし、道を修める人に対しては
師の思いをなし、すべての人びとに対しては
大悲の思いを起こし、
平等に教えを
説かなければならない。
第四には、仏と同様に
慈悲の心を最大に発揮し、道を求めることを知らない人びとには、
必ず教えを聞くことが
できるようになってほしいと心に願い、その
願いに従って
努力しなければならない。
第二節 信者の道
一、パーリ、相応部五五-三七・増支部三-七五
仏教を信ずる者とは、
三宝、すなわち、
仏*と
教え*と
教団*を
信ずる者のことであるということは、すでに説いた。
だから、
仏教を信ずるものは、
仏と教えと教団に対して、破れることのない
信を抱き、教えが命じている
信者としての
戒律を守らなければならない。
在家者としての
戒とは、
ものの命を取らず、
盗まず、
よこしまな愛欲にふけらず、
偽りを言わず、
酒を飲まないことである。
在家者はこの
三宝に対する信と、在家者としての
戒を保つとともに、他人にもこの
信と戒とを得させるようにしなければならない。
親戚、
友人、
知人の間に
同信の人をつくるように
努めなければならない。そうすることによって
彼らもまた
仏の慈悲に浴することができる。
三宝に対する
信を持ち、在家としての
戒を守ることは、さとりを得るためであるから、
在家の
愛欲の生活の中にあっても、
愛着に縛られないようにしなければならない。
父母ともついには別れなければならない。
家族ともついには離れなければならない。
この世もついには去らなければならない。
別れなければならないもの、去らなければならないものに
心を縛られず、別離というもののない
涅槃*に
心を寄せなければならない。
二、華厳経第二二、十地品
仏の教えを聞いて、
信が厚く、
退くことがなければ、
喜びは
自然にわき起こる。この境地に入れば、何ごとにも
光を認め、
喜びを
見いだしてゆくことができる。
その
心は
清く柔らかに、常に
耐え忍んで、
争いを好まず、人びとを
悩まさず、
仏と教えと教団を思うから、
喜びは自然にわきいで、
光はどこにでも見いだされる。
信ずることによって
仏と一体になり、
我(が)という思いを離れているから、わがものを
貪(むさぼ)らず、したがって、生活に
恐れがなく、
そしられることをいとわない。
仏の国に生まれることを
信じているから
死を恐れない。教えの真実と尊さを
信じているから、人びとの前に出ても、
恐れることなく自分の
信ずるところを
言うことができる。
また
慈悲を
心のもととするから、すべての人に対して
好ききらいの思いがなく、心が正しく清らかであるから、
進んであらゆる
善を修める。
また順調の時も逆境の時も
信仰を増し、
恥を知り、
教えを敬い、
言ったとおりに行い、
行うとおりに言い、
ことばと行いが一致し、
明らかな智慧*をもってものを見、
心は山のように動かず、ますます
さとりへの道に
進むことを願う。
また、どんなできごとに出会っても、
仏の心を心として
人びとを導き、濁った世の中にも、汚れた人びとの間にも
交わって、その人びとが
善にうつるように
尽くすのである。
三、大槃涅槃経
だから、だれでもまず自ら
教えを聞くことを
願わなければならない。
だれかが「この燃え立つ火の中へ入れば教えが得られる。」と言うなら、その
火の中へ入る
覚悟を持たなければならない。
世界に満ちた
火の中に分け入って
仏の名を聞くことは、まことにその人の
救いだからである。
このようにして自ら
教えを得て、
広く施し、敬うべき
人を敬い、仕えるべき
人に仕え、深い慈悲の心をもって
他人に向かわなければならない。
利己的であったり、
思うままにふるまうのは、
道を行う人の
行ではない。
このようにして教えを
聞き、教えを
信じ、他人を
うらやまず、他人のことばに
迷うことなく、自分のするしないについて
省みることが肝心であり、他人のするしないを
心にかけてはならない。
何よりも自分の
心を
修めることが大切なのである。
仏を信じない人は、
自分のことだけを
思いわずらうから、
心が狭く
小さく、いつもこせこせと
焦るのである。しかし、仏を
信ずる人は、背後の
力、背後の
大悲を
信ずるから、自然に
心が広く
大きくなり、
焦らない。
四、大槃涅槃経
また、教えを
聞く人は、もとよりこの
身を
無常*なものと
見、
苦しみの集まるもとと
見、
悪の源と
見るから、この身に
執着しない。
しかしまた、この身を大切に
養うことを
怠らない。それは楽しみを
貪るためではなく、道を
得、道を
伝えるためである。
この
身を守らなければ
命をまっとうすることができず、
命をまっとうしなければ、
教えを受けて
身に行うことも、また教えを
広く伝えることもできない。
河を
渡ろうとする者は
筏をよく守り、
旅をする人は
馬をよく守るように、
教えを聞く人はその
身を大切に
守らなければならない。
また仏を
信ずる者は、
着物を着るにも
虚飾のためにせず、ただ
羞恥のためにし、
寒さ暑さを防ぐためにしなければならない。
食物をとるにも
楽しみのためにせず、
身をささえ養って
教えを受け、または
説くためにしなければならない。
家に住むにも同じく、
身のためにし、
虚栄のためにしてはならない。
さとりの家に住み、
煩悩*の賊を防ぎ、
誤った教えの
風雨を避けるためと、
思わなければならない。
すべてこのように、何ごとも
身のためを思わず、他人に対しても
おごる思いをせず、ただ
さとりのため、
教えのため、
他人のためと思って
しなければならない。
だから、
家にあって家族と一緒にいても、その
心はしばらくも教えを
離れない。
慈悲の心をもって家族に従っているが、
手段を示して彼らに
救いの道を
教えるのである。
五、華厳経第七、浄行品
またこの
仏教教団の
在家者には、日常、
父母に仕え、
家族に仕え、
自分に仕え、
仏に仕える
いろいろな心がけがある。
すなわち、
父母に仕えるときには、一切を
守り
養って、永く平和を
得ようと思い、
妻子と一緒にいるときは、
愛着の牢獄から
脱しなければならないものと思わなければならない。
音楽を聞いているときには、教えの
楽しみを得ようと思い、
室にいるときは、賢者の
境地に入って永く汚れを
離れようと思わなければならない。
また、
たまたま他人に
施しをするときは、
すべてを捨てて
貪(むさぼ)る心をなくそうと思い、
集いの中にあるときには、
諸仏の集いに
入ろうと思い、
災難にあったときには、どんなことにも
動揺しない心を
得ようと
願わなければならない。
また仏に
帰依するときには、
人びととともに
大道を
体得して、
道を求める
心を起こそうと
願い、教えに
帰依しては、人びととともに深く教えの
蔵に入って、
海のように大きい
智慧を得ようと願い、
教団に
帰依しては、人びととともに
大衆を
導いて、すべての障害を
除こうと願うがよい。
また、着物を
着るなら
善根(ぜんごん)と
慚愧(ざんぎ)を衣服とすることを忘れず、
大小便をするときは、
心の
貪(むさぼ)りと
瞋(いか)りと
愚かさの
汚れを除こうと願い、
高みに昇る
道を見ては、
無上の道へ昇って迷いの世界を
超えようと思い、
低きに下る道を見ては、
優しくへり下って奥深い教えへ
入ろうと願うがよい。
また、橋を見ては、教えの橋を作って人を
渡そうと願い、
なげき悲しむ人を見ては、
うつり変わって常なきものを
なげく心を起こし、
欲を楽しむ人を見ては、幻の生活を
離れてまことのさとりを
得ようと願い、
おいしい食物を得ては、永く世間の欲を
遠ざけようと願うがよい。
また夏の暑さの激しいときには、煩悩の熱を
離れて
涼しいさとりの味わいを
得たいと願い、
冬の寒さの激しいときには、
仏の大悲の
温かさを願うがよい。
経を誦(よ)むときには、
すべての教えを保って
忘れないようにと願い、
仏を思っては、
仏のようなすぐれた
眼(まなこ)を得たいと願い、
夜眠るときには、
身(からだ)と口と意(こころ)のはたらきを
休めて
心を清めようと願い、
朝目覚めては、すべてを
さとって、何ごとにも
気のつくようになろうと願うがよい。
七、華厳経第二一、金剛幢菩薩十廻向品
仏教を信ずる者は、このようにして、
仏を信じ、その信の心をもって世の中のことを尊く
味わうが、またその心をもって、身をへり下らせて他人に
仕える。
だから、仏教を信ずる者には
おごる心がなく、
へりくだる心、他人に
仕える心、大地のようにすべてを
載せる心、すべてに仕えて
いとわない心、すべての苦しみを
忍ぶ心、
怠りのない心、すべての貧しい人びとに善根を
施す心が起こる。
このように、人びとの貧しい心を
哀れみ、すべての人びとの
慈母となってその心を
育てようとする心は、そのまま、すべての人びとを父母のように
敬い、自分の尊い善き師として
崇(あが)める心である。
だから、仏教を信ずる者に対して、たとえ、
百千の人びとが怨みを起こし、
敵視し、
害を加えようとしても、その心のままに
なしとげることはできない。
例えば、どのような毒でも、大海の水を汚し損なうことができないようなものである。
八、大槃涅槃経
仏教を信ずる者は、また、
省みておのれの幸せを
喜び、この仏を信ずる心はまったく
仏の力によるものであり、仏の
たまものであると
感謝する。
また煩悩の
泥の中には、信仰心の
種はないのであるが、この泥の中に仏の
慈悲が植えつけられて、仏を信ずる
心となったことを、明らかに
知る。
さきに説いたように、エーランダという毒樹の林に、チャンダナ(栴檀せんだん)香木の芽が生えるはずはなく、
煩悩の胸の中に、仏を信ずる種が芽生えるはずはない。
しかも、いま
現に芽生えて
歓喜の花が煩悩の胸の中に開くのは、その
根はそこになく、別のところにあると知られるのである。その根は
仏の胸の中にある。
仏を信ずる者も、
我(が)の思いに立つときは、
貪(むさぼ)りと瞋(いか)りと愚かさの心から、
他人をそねみ、
ねたみ、
にくみ、
損なったりする。
しかし
仏に
帰ると、いまいうような大きな仏の
仕事をするようになる。これはまことに、
不可思議といわなければならない。
投稿: 豊岳正彦 | 2024年5月18日 (土) 03時46分
【憲法を知らぬ日本人はこの世で最低の恥知らずだ】
hougakumasahiko.muragon.com/entry/618.html
山口県労働組合総連合(山口県労連)発行の縦10.5横7.4㎝ジャスト手帳サイズ日本国憲法を全ての6歳以上日本人に各1冊毎年無料配布するべき文科省責務を主権者国民日本国王が命令する。
日本国憲法手帳を橋川等さんがご提供くださった動画
youtube.com/watch?v=b1bxD1vLIP4&t=182s
・
「旧約聖書約束の地はサウジアラビア?」豊岳正彦@lyuzhngyn1
殆ど迎撃されたロケット弾三千発でトンズラするくそラエル人は、ヒズボラやイランがミサイルを一発撃つだけで約束の地から全員… ポスト米英時代
asyura2.com/23/cult47/msg/770.html#c4
・
世界の大国ブラジル大統領が国連事務総長へ人権と法益を守るよう10月11日緊急ツイートを発信した。@LulaOficial
パレスチナとイスラエルの子どもたちを守るための国際社会に対するルーラ大統領の所信表明
国連事務総長へ@antonioguterres
・
中東紛争における最も深刻な人権侵害に終止符を打つためにあらゆる国が資源を緊急使用すること。
世界のどこにいても、子供たちを人質にしてはならない。
ハマスは、家族から誘拐されたイスラエルの子どもたちを釈放しなければならない。
イスラエルは、パレスチナの子どもたちとその母親がエジプトと
・
の国境を越えてガザ地区を離れられるように、爆撃をやめなければならない。
イスラエルとパレスチナの子どもたちを守るための国際的な人道的介入による停戦が緊急に必要です。
ブラジルは、国連安全保障理事会の暫定議長国として、紛争を即時かつ決定的な終結に導くための努力に参加する。
・
そして、世界の平和の促進と人権の擁護のために働き続けます。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ
ブラジル大統領
youtube.com/watch?v=gncqvSlVRm4
・
岸田文雄@kishida230へ
岸田総理は日本国憲法前文人道を守る国王豊岳正彦と連れ立って今すぐガザへ飛べ。@lyuzhngyn1
米ブリンケン国務長官とイスラエルネタニヤフ首相が会談 人道回廊の設置やハマスからの人質解放の交渉など協議か|TBS NEWS DIG
youtube.com/watch?v=cL6vVgCghCk
youtube.com/watch?v=Fp1u4j3aDPE
·
AFP通信によると、ハマスが奇襲攻撃したことによるイスラエルの被害は911奇襲と真珠湾奇襲を合わせたもの以上だということだ。911も真珠湾もどちらもDSの自国民殺戮偽旗奇襲テロ作戦であることが興味深いね。朝鮮戦争もイスラエル建国戦争もベトナム戦争もコソボもイラクもリビアもウクライナも。
·
ゼレンスキーはイスラエルに訪問したのかな。岸田総理も早くイスラエル訪問しなければ戦時下のウクライナに訪問した手柄が忘れ去られてしまうぜ。子供たちが今まさにガザとイスラエルで殺されている。日本人ならすぐに行って子どもたちと母親たちを全員無慈悲冷酷残虐な殺戮戦場から救い出して来い。
·
独りじゃ怖くてよう行かないなら俺が一緒に行ってやる。戦場から子供と母親全員救い出す交渉は全部俺がやってやる。日本人にできないことなどこの世にないのだ。
すぐに俺に連絡して迎えをよこせ。ぐずぐずすんな。一刻も早く地球より重い人命を危険な死地から救い出せ。
·
イスラエルが白リン弾ハマスがミサイル3000発どっちもとんでもない金持ちだ。金持ちが貧しい人々を殺してよいのか。ふざけるな。金持ちは全財産捨てて皆を助けろ。すぐ戦争やめろ。イスラエルアメリカNATOウクライナハマスのネオナチども。日本人は戦争虐殺嘘つき泥棒地上げ詐欺暴力団を絶対許さんぞ。
·
岸田はすぐにガザへ行け。俺も一緒に行ってやる。上川もついてこい。自衛隊に攻撃できる命知らずはこの世にいないから自衛隊は全部隊がガザへ出動だ。すぐ迎えにこい。ぐずぐずすんな。
24時間随時電話受付年中無休診療所豊岳小児科医院院長豊岳正彦日本国王である。
0827-24-9255
・
女性も子供と一緒に避難するから上川女史外務大臣も戦場のイスラエルガザへ一緒に来い。助け出した人をお世話してけがの手当てをして、安全地帯からそれぞれ自衛隊機で希望国へ避難してもらう。上川外務大臣が各国と避難者受け入れ交渉せよ。
youtube.com/watch?v=gncqvSlVRm4
·
日本国の成り立ち。統治者国王が主権者国民。
国王に全体奉仕する憲法15条公務員三権分立政府の国権順位は、
立法府国会議員>司法府裁判官>行政府内閣国務大臣>行政公務員。
satokazzz.com/airzoshi/reader.php?action=aozora&id=43037
・
日本国憲法は国の最高法規として法律や政令の最上位に位置し、憲法が定める内容に反する法律等をつくることはできない(憲法98条)。
chuohoki.co.jp/correction02/pdf/kenpo.pdf
elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION
・
第98条
1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
youtube.com/watch?v=ePPDNN_QxME
・
第20条
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
・
第15条
3.公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4.すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
・
に違反し、党議拘束や威迫・暴力などで選挙人の投票に圧迫を加えれば憲法20条違反政教一致である。
・
日本国憲法前文(抄)
・
youtube.com/watch?v=q4Vgy0B3FGk
・
・
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言確定
・
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
・
第二章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.国の交戦権は、これを認めない。
・
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを 誓ふ。
昭和21年11月3日公布昭和22年5月3日発布施行
youtube.com/watch?v=90QN-gnJbKY
・
すべての選挙で谷内正太郎の不正な憲法15条違反憲法76条違反憲法99条違反憲法前文違反国家叛逆外患誘致罪汚職公選法違反「選管ムサシ」を完封する「幸せの和」と不正選挙の総元締めNHKイスラエルモサドを完封する「悪魔王イスラエルよ悪を為すな」FAX送信原稿PDFセット。
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/files/scan001.pdf
・
政党など不要だ。エマニュエルをアメリカに帰国させる国会決議をする議員以外日本には国会議員も内閣も裁判所も不要だよ。日本の国政をエマニュエルが好き勝手に乱してるんだからな。エマニュエルが最大の外国スパイだぜ。わからんのかねw憲法見てみw
・
日本人は、
あらゆる人の尊い法益を嘘と暴力で毀損する、
戦争虐殺地上げ詐欺反社会無法略奪犯罪常習暴力団と汚職政府を、
父母の大慈悲仏心無我平等親孝行親切仏法に照らして絶対に許さんぞ。
mt-silver.org/BOOK/SEITEN/index.htm
・
そもそも製薬会社も医者も全員日本人を731部隊の丸太にして皆殺しするために存在する外資のスパイだから、日本国憲法9条違反外患誘致スパイ罪で捕まるのが当たり前だろ。
スパイの罪を自白したら国外追放で勘弁してくれるさ、多分w
日本国憲法は罪を憎んで人を憎まぬ転輪王仏法だからね。
・
www.ilver.org/BOOK/SEITEN/index.htm
仏教聖典
なかま
第二章生活の指針
第三節もろ人のために
↓
「和を以て貴しとなす。あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。」
hougakumasahiko.muragon.com/entry/9.html
・
岸田総理は日本国憲法前文人道を守る国王豊岳正彦と連れ立って今すぐガザへ飛べ。
日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげて日本国憲法前文の誓いを果たす。
blog.goo.ne.jp/hougakumasahiko6th/e/5b51f2fa1d11ea24b951523069ef59b9
・
自衛隊の護衛艦出雲と給油艦2隻の3隻に水食糧ヘルメット防弾チョッキとオスプレイ及び自衛隊輸送ヘリを満載して直ちにエジプトへ向けて出港せよ。
エジプトからガザ地区へでっかい日の丸をすべての物資に描いて日本の自衛隊とその救援物資だと知らしめて救助活動を行う。
・
武器は一切不要。避難する人待機する人用の防弾チョッキにも日の丸を大きく描いておく。
youtube.com/watch?v=G0fXQGy8n1Y&t=548s
・
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを 誓ふ。
昭和21年11月3日公布昭和22年5月3日発布施行
銀河の憲法
youtube.com/watch?v=piECORPRJA8
・
日本国憲法を知らぬものは日本国民ではない。
すべて公務員は採用試験と毎年3回の定期資格確認試験を下記によって行うものとする。
【聞き流し】日本国憲法全文 (穴埋め式)
youtube.com/watch?v=l7KoUkwg_5s
・・・・・・・
https://parstoday.ir/ja/news/iran-i119790
同じ空の下で今まさに戦争屋のモサドCIAMI6の手で罪のない非武装一般人が何千何万人もアメリカ製兵器で虐殺されてるのに知らんふりかい。恥も日本国憲法も知らんのか。イスラエルの軍資金はすべて日本人がNHKに払う放送法受信料50兆円である。
youtube.com/watch?v=l7KoUkwg_5s
・
モサドCIAMI6は絶対に許さん!日本国王の下僕岸田林上川と国務大臣全員国会議員は全員日本国憲法前文に従って直ちにガザへ飛べ。お前らが死んでもガザの子供と母親たちを救った日本の軍神として、鬼畜米英から日本の婦女子を守るために戦った英霊が集う靖国神社に祀ってやる。
youtube.com/watch?v=piECORPRJA8
・
関行男神風特攻隊敷島隊隊長「KAのために死ぬ」
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/ka-afb2-1.html
「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためと
・
かでいくんじゃなくて、最愛のKA[妻、海軍士官の隠語]のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう。」
日本武士道は父母恩重経である。
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
・
「すべての声は訴える」を全世界の子供の教科書に掲載しよう!
hougakumasahiko.muragon.com/entry/579.html
(未発表遺稿から下関原爆展事務局書き起こし文に≪加筆≫)
こどもの原爆被爆体験詩集『原子雲の下より』の序文に寄せて
峠 三吉
すべての声は訴える
・
戦争略奪偏執狂モサドCIAMI6の真の親玉死の商人DS悪魔王は現在日本総務省イスラエルモサドNHKに隠れている。イスラエル大使館にはいない。悪魔王は駐日アメリカ大使ラームエマニュエルユダヤ人だ。外交官治外法権より米軍の憲法98条国際法規違反地位協定治外法権が日本国内では最強だからな。
・
77年前ついに日本政府を乗っ取った戦争略奪偏執狂の血に飢えた狂犬モサドは国連を作り国連軍MI6CIAを使ってパレスチナ人を殺戮攻撃しイスラエルという土地を強奪した。悪鬼の所業だ。それを日本NHKを使って焼け野原の日本人に正当化して正義の戦争と思い込ませる美談に仕立てた。もちろん大英帝国陸軍
・
元帥もモサド子分MI6だから親分のフェイクに協力したのだ。戦後の日本人は外国元帥天皇とNHKにみな騙された。ただ一人原爆を浴びた国語教師で詩人の峠三吉だけがすべて見抜いて「すべての声は訴える」を遺し原爆症で亡くなった。戦争と原子炉放射能は政府政権汚職人災だという真実を書き遺した峠三吉を
・
、MI6天皇とイルミナティNHKは世界の報道からすべてもみ消したのだ。世界はカラーTV洗脳画面電子音によって戦争殺戮略奪偏執狂政教一致カルトに支配されている。
・
ジョンレノンもそれに気づいて、日本国憲法前文を英訳してイマジンをうたった。だから大英帝国とバチカンでイマジンを絶対放送禁止にしたのだ。バチカンも血に飢えた狂犬政教一致カルト悪魔大王モサドのキリスト教会成立以来の子分である。
・
ジョンレノンの大ファンだったダイアナ妃が、地雷撲滅運動にわが身を捨てて参入しアジアの地雷原を歩いた。イギリス製の地雷だ。エリザベスMI6モサド手下筆頭DS女王は怒り狂ってダイアナ妃をパリのトンネルと病院でMI6に襲わせて殺害したのである。
投稿: 豊岳正彦 | 2023年10月20日 (金) 23時58分
https://chaandzen.exblog.jp/11199857/
汝ら諸人(しょにん)、この山中に来たって 諸君よ。この道場に来て
道(どう)の為に頭(こうべ)をあつむ。 仏道のためにみんな集まってくれ
衣食(えじき)の為にすること莫(なか)れ。 衣食住の為に来て居ているんではない
肩(かた)あって着(き)ずということなく、 与えられるものを着ておれば
口あって食(く)らわずということなし。 与えられるものさえ食べられれば充分である
ただ須(すべか)らく十二時中(じゅうにじちゅう)、 ひたすら 一日中
無理会(むりえ)の処に向って、 仏道の根本、そこのところに向かって、
窮(きわ)め来り究(きわ)め去るべし。 一生懸命に修行しなさい
光陰矢(こういんや)の如し、 無常迅速で
慎(つつし)んで雑用心(ぞうようしん)すること勿(なか)れ。 しっかりやりなさい。
老僧行脚(ろうそうあんぎゃ)の後(のち)、 私が死んだ後で、
或は寺門繁興(じもんはんこう)し、 お寺が盛んになる
仏閣経巻(ぶっかくきょうかん)に金銀をちりばめ、 それから経巻も立派になる
多衆(たしゅう)閙熱(にょうねつ)、 修行者が多く集まる。
或いは誦経(じゅきょう)諷咒(ふうじゅ)、 お経を一生懸命に読む。戒律を綿密に守ると。
長坐不臥(ちょうざふが) 坐禅を熱心に行う。
一食卯斎(いちじきぼうさい)、
六時行道(ろくじぎょうどう)、
たとい恁(いん)麼(も)にし去るといえども、 修行者としては。それだけではダメなんだと。
仏祖不伝(ぶっそふでん)の妙道(みょうどう)を以(もっ)て 無理会(むりえ)のところ
胸間(きょうかん)に掛在(かざい)せずんば、 これを自分の心に納めもつということが
則(すなわ)ち因果(いんが)を撥無(はつむ)し なければ、たちまち因果にそむいて、
真風地(しんぷうち)に堕(お)つ、 本当の精神が堕落していく
みなこれ邪魔(じゃま)の種族(しゅぞく)なり 悪魔の種族と同じで
老僧世(ろうそうよ)を去ること久しくとも、 私が死んで後、
児孫(じそん)と称することを許さず。 児孫ということは絶対許さない
もし一人あり野外(やがい)に綿(めんぜつ)し、 一人でも野外で小さなあばら屋に住んで
一把茅底折脚鐺下(いっぱぼうていせっきゃくしょうか)に 普通の人が捨てるような野菜を食べて
野菜根(やさいこん)を煮(に)て喫(きっ)して日を過すとも、 毎日過ごすような生活をしていても、
専一(せんいつ)に己事(こじ)を究明(きゅうめい)する者は、 自分の今の一大事に専念する者は、
老僧と日日相見(にちにちしょうけん)、 私と毎日顔を会わせている
報恩底(ほうおんてい)の人也(ひとなり)。 そして仏道に報いる人であると
誰か敢(あ)えて軽忽(きょうこつ)せんや、 敢えてなおざりにしてはならない
勉旃勉旃(べんせんべんせん)。
投稿: 豊岳正彦 | 2019年3月 8日 (金) 09時49分