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2019年3月 8日 (金)

宗門安心章

宗門安心章

はじめに

 

 お経は、いつの時代も難しいものと考えられてきました。そんな中、お経を身近に感じてもらおうと和文のお経が作られました。江戸時代の「白隠禅師坐禅和讃」、明治時代に曹洞宗から生まれた「修証義」などがそうです。

 

 人々に分かりやすく教えを伝えることは、お釈迦さま自身も苦労したことでしょう。時代を超えてさまざまな人が仏教を、自分なりに理解しようと努力したあとが、後世に作られたお経です。

 

 さて、そのように人々に分かりやすく布教することを目指して、臨済宗妙心寺派の本山、妙心寺が昭和四十年に世に出したお経が「宗門安心章(しゅうもん・あんじんしょう)」です。

 

 「宗門安心章」は、三つの章から成っています。第一「信心帰依(しんじんきえ)」では、まず教えをよりどころとして、信じることの大切さを説いています。「よりどころ」は「寄るところ」に通じます。寄るところもなく、やみくもに歩き回っては、ただ疲れるばかりです。人生の中で、寄って休める場所を見つける一つの方法が、仏教を学ぶことかもしれません。

 

 つづく第二「自覚安心(じかくあんじん)」では、仏教を信じる(よりどころとする)その人自身が仏さまであり、自分を見つめることが大切である、と説かれています。ここでいう自覚とは仏教の言葉で「自ら目覚める(さとる・気づく)」ことをいいます。また、この章では、自分にないものを求めて持っているものに気づかない愚かさを説きます。それは、せっかく持っている自分の力を信じなさい、ということです。悩みや苦しみ、不安な気持ちは社会や環境のせいではなく、自分の中から生まれてくるものです。周りを変えるのではなく、自分の考え方、ものの見方を変えれば心が安らかになるのではないか、と気づくことが大切です。

 

 最後に第三「行事仏道(ぎょうじぶつどう)」では、仏教を実際の生活の中で行っていくための心がまえ「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」を学んでいきます。「戒」とは「持戒(じかい)」で、自分の行いを見つめなおすことです。「定」は「禅定(ぜんじょう)」で、自分勝手な解釈や都合でなく物事の重要な部分を、かたよらない心で見定めることです。「慧」は「智慧(ちえ)」のことで、あるがままに物事を見ましょう、ということです。

 

 以下、上の太字が本文、下の細字が解釈文になります。長いので、少しづつ読んでみていただければ幸いです。


第一 信心帰依(しんじんきえ)

 

 万劫(まんごう)にも受け難きは人身、億劫(おくごう)にも逢い難きは仏法なり。われら今さいわいに受け難き人身を受け、会い難き仏法に遇う、宿善のいたすところと雖(いえど)も、仏祖広大の恩徳に依らざるなし。いかでか歓喜(かんぎ)し踊躍(ゆやく)せざらんや。偏(ひとえ)に信心帰依の心を発(おこ)し、如説(にょせつ)に修行をはげむべし。空しく一生を過ごして、永劫(ようごう)に悔(くい)を遺すことなかれ。
 人として生まれることは難しく、仏の教えに出会うことはさらに難しいものです。私たちは、いま幸運にも人として生まれ、仏の教えに出会いました。それは、みなさんがこれまでよい行いを重ねてきたからでしょうが、お釈迦さまやその教えを伝えてきた人たちのおかげでもあります。どうして喜んで飛び上がったりしないでいられましょうか。ひたすら仏の教えを信じ、説かれているとおりに修行に励みましょう。むなしい一生を過ごして、あとになって後悔しないように。


 信は道源功徳の母にして、行善の本(もと)はすなわち帰依にあり。至心(ししん)に合掌し、篤く三宝(さんぼう)を敬うべし。三宝とは仏法僧なり。四生(ししょう)の終帰、万国の極宗、何(いず)れの世、何れの人か、この法を尊(たっと)ばざらん。人 尤(はなは)だ悪しきは鮮(すくな)し。よく教うればこれに従う。それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直うせん。
 信じることは、すべての行いの始まりであり、徳を積むきっかけを生み出してくれる母親のようなもので、よい行いの根本は、教えをよりどころにするということです。心をこめて手を合わせ、三つの宝を大切にしましょう。三つの宝とは、「仏さま」「その教え」「教えを実際に行う人々」です。生まれ方は違っても最後は同じであるように、また、文化は違ってもあらゆる国に受け入れられるように、いつの時代も、どんな人でも、この教えを重んじることでしょう。根っからの悪人は少なく、よく説いて導けば、教えに従ってくれるものです。三つの宝「仏・法・僧」に頼らないで、どうやって曲がった心をまっすぐにすることができるでしょうか。


 恭(うやうや)しく大法(だいほう)の渕源(えんげん)をたずぬるに、世尊(せそん)成道(じょうどう)のあかつき、玉歩(ぎょくほ)を鹿苑(ろくおん)に運ばして、五比丘(ごびく)のために親しく四諦(したい)の法門を説きたもう。三宝この時始めて世に出ず。これを現前(げんぜん)三宝と称したてまつる。
 仏教は、お釈迦さまがさとりを開いて、鹿野苑(ろくやおん)というところに行き、ともに苦行をした五人の修行者に、さとったこと(人生は苦しみであり、苦しみには原因があり、その原因を取り除くため、あるがままを心がけ、極端を嫌い、立場で物事を見ない生き方)を説いたことから始まります。仏教が説く三つの宝「仏・法・僧」は、このときはじめて世の中に現れました。このことを「現前三宝(三つの宝が眼前に現れたこと)」といいます。


 世尊ひとたび涅槃(ねはん)の雲にかくれたまえば、大衆(だいしゅう)悲泣(ひきゅう)哀恋(あいれん)止み難く、或(あるい)は石に刻み、紙に写して、巍々(ぎぎ)たる光影(こうよう)を末代に偲(しの)び、或は貝葉(ばいよう)に記し、黄巻に録して、一代の説法悉(ことごと)く万世に伝う。又円頂(えんちょう)方袍(ほうぼう)の比丘衆はたけく四弘(しぐ)の願輪(がんりん)に鞭(むち)うって、上座の真威儀(しんいぎ)を、五濁(ごじょく)の末世に宛然(えんぜん)したもう。みなこれ正法(しょうぼう)護持の悲願にしてこれを住持(じゅうじ)の三宝と名づく。
 やがて、お釈迦さまが亡くなられると、人々は慕い悲しみ、そのおごそかな姿を石に刻んだり紙に描き写して、のちの世に思いを残し、説かれた教えはことごとく葉っぱに書いたり紙に記録してながく伝えました。また、髪をそり袈裟(けさ)を身につけた僧たちは、道を求めるための四つの誓い(人々を救い、煩悩を断ち、仏教を学び、仏道を完成させること)に努め、仏法の乱れた世の中であっても仏の教えを伝えました。これもみな、なんとかして正しい仏法を守ろうという願いであり、このことを「住持三宝(三つの宝を保ち続けていくこと)」と名づけたのです。


 しかも三宝の実体は、元来人々(にんにん)自性の中(うち)に本具(ほんぐ)したれば、自ら自(じ)の覚性(かくしょう)に帰依して、念々痴闇(ちあん)の心(しん)なき、これを帰依仏無上尊(きえぶつ・むじょうそん)といい、自ら自の心法に帰依して煩悩邪見の心なき、これを帰依法離欲尊(きえほう・りよくそん)という。自ら自の柔軟心(にゅうなんしん)に帰依して、自なく他なく一切衆生と和敬(わけい)随順するを帰依僧和合尊(きえそう・わごうそん)という。もとより一体にして自性の霊妙を離れず、故にこれを一体(いったい)三宝と名づく。
 しかも仏・法・僧という三つの宝の実体は、自分の中に仏がいるということ、行いが仏の教えにしたがっているということ、人々とともに教えを守り修行をしていくということで、もともと誰の心にも備わっており、自分でそのことに気づき、信じて迷わないことを「帰依仏無上尊(この上もなく尊い仏を信じること)」といい、自分の心の中にある仏の教えをよりどころとして、欲もなく迷いもなく、よこしまに物事を見ないことを「帰依法離欲尊(欲から離れる尊い教えを信じること)」といいます。また、みずから心をかたよらず、自由自在にすることで、自分とか他人とか分けることなく、あらゆる人々と心をやわらげ敬いあい、いかなることでも素直に受け入れていくことを「帰依僧和合尊(ともに力を合わせ修行する尊い人々を信じること)」というのです。そして、仏・法・僧は切り離せない一つのもので、それぞれの人に備わっていて自分本来の奥深くにあるので、これを「一体三宝(仏・法・僧が一体であることはもちろん、自分とも一体である)」と名づけました。


 上来(じょうらい)三宝に三種の別ありと雖(いえど)も、仔細(しさい)に点検すればすなわち別異にあらず。偏(ひとえ)にわが大恩教主 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の成等正覚(じょうとうしょうがく)に由来し、三世一切の諸仏諸尊も、南無(なむ)釈迦牟尼仏の一念唱名の中(うち)には含ませたもう。されば朝夕(ちょうせき)随所に南無釈迦牟尼仏と、一心に唱え至心(ししん)に帰命(きみょう)したてまつるべし。
 今まで説いてきたように、仏教の三つの宝である「仏・法・僧」は、さらに「現前三宝」「住持三宝」「一体三宝」と三つに分けることができますが、よく見ていくと別のものではないことがわかります。それもひとえに、お釈迦さまがさとりを開いたからであり、ありとあらゆる仏さまも「南無釈迦牟尼仏(お釈迦さまをよりどころとします)」とひたすらにお唱えする言葉の中に含まれます。そうであるならば、朝も夕もいたるところで、「南無釈迦牟尼仏」と心をこめてお唱えし、まごころをもってよりどころとしましょう。


 至心に帰命したてまつるが故に、今よりのち、尽未来際(じんみらいさい)、誓って一切の邪魔外道(げどう)には帰依せざるべし。されば諸仏諸菩薩 無辺の願海に摂取せられて、殊勝(しゅしょう)を求めんと要せざれども、殊勝自ら至って、光明不尽の生涯を恵まるること決定(けつじょう)して疑いあるべからず。
 教えを、まごころをもってよりどころとするならば、今からこの先、お釈迦さまに誓いを立てて、仏教のさまたげになるような行いや、教えの道からそれるようなことをよりどころとしてはいけません。そうすれば、あらゆる仏や菩薩の広大な海のような心に救われて、すぐれた心境を求めようとしなくても自然と備わって、明るい光が尽きない生涯に恵まれることは、決して疑いのないことでしょう。


第二 自覚安心(じかくあんじん)

 

 悲しいかな、われら一念に悟れば直(じき)にこれ仏となるを知らずして、却(かえ)って一念迷うが故に、自ら凡夫(ぼんぶ)となりさがる。かくも尊(たっと)き仏法を耳にしつつも、一向(いっこう)に信心帰依の心なく、生死(しょうじ)の海に浮沈して、三毒五欲の妄念と憎愛取捨の迷執(めいしゅう)に、日夜造業(ぞうごう)造作(ぞうさ)して、永劫(ようごう)出離の際(きわ)もなし。
 悲しいことに、私たちがひとたび、自分だけでなく周りの人を幸せにしていくことが、かえって自分の幸せにあると気づけば、そのままで仏となるのにそれが分からず、むしろ自分だけが幸せになろうとするので、それでは自分から迷い苦しんでいくようなものです。このようにありがたい教えに出会っても、まったく信じないで心のよりどころにもせず、海に浮き沈みするように苦しみを繰り返しては、自分の都合で物事を考えたり、好き嫌いにこだわってしまうので、来る日も来る日も欲は満たされず怒りがこみ上げ、永遠に心が安らかになる日は来ないでしょう。


 たまたま信心おこせども、自心(じしん)仏と知らざれば、ただ徒(いたず)らに狂奔(きょうほん)し、傍家(ぼうけ)波々地(ははじ)に、仏を求め、法を求めて止むときなし。愚(おろ)かというも憐(あわ)れなり。

 

 また一方で、お釈迦さまの教えを信じてみても、自分にもお釈迦さまと同じように尊い心があることに気づかなければ、むやみに教えに夢中になって、大事なことはそっちのけで外へ外へと求めていき、こうすれば自分も仏になれるだろうか、教えにかなう生き方ができるだろうかと、あちこち動きまわって落ち着かなくなります。すでに持っているものに気づかないで探しまわるなど、愚かにというよりかわいそうなことではないでしょうか。


 いずれの人も速やかに、善知識(ぜんちしき)には遇(あ)いまつり、無明(むみょう)長夜の夢を捨て、常楽涅槃(ねはん)に入相(いりあい)の、鐘に心をすましつつ、菩提心をぞおこすべし。
 苦しんでいる人はできるだけ早く、本でも人でも自分を目覚めさせてくれるきっかけに出会い、かなわない夢のような、はかないものは捨てて、苦しみのない安らかな心で夕暮れの鐘を聞くように、自分もまわりも一緒に救うのだ、という気持ちをおこしましょう。


 そもそも諸仏出世の一大事因縁は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、衆生に仏知見を示し、衆生に仏知見を悟らしめ、衆生をして仏知見の道(どう)に入らしめんがためなりと、大聖(だいしょう)世尊(せそん)は示されぬ。
 『そもそも仏教がこの世の中に現れた最も大きな理由は、私がさとりを開くため悩み苦しみ気づいたことを、同じように苦しんでいる人々にその目や心を開かせ、教え導き、気づいてもらい、救われる道を歩いてもらいたいためである』とお釈迦さまは示されました。


 しかも霊山(りょうぜん)会上(えじょう)にて、梵天王(ぼんてんのう)が献じたる、金波羅華(こんぱらげ)をば拈(ねん)じつつ、破顔微笑(みしょう)を賞(め)でたまい、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相微妙(じっそうみみょう)の法門を、摩訶迦葉(まかかしょう)にぞ伝えらる。
 さらに、お釈迦さまがある日、いつも説法をしているインドの霊鷲山(りょうじゅせん)で、梵天さまからいただいた金色の蓮華の花を、集まった人々の前にだまって差し出したところ、だれもその意味が何なのか分かりませんでしたが、その中にいた弟子の摩訶迦葉が、だまって「にこっ」とほほ笑んだのを見て、お釈迦さまはうれしく思い、『摩訶迦葉に(言葉ではなく心で)私の教えが伝わった』とおっしゃいました。


 それより的々(てきてき)相承(そうじょう)し、二十八代 菩提達磨(ぼだい・だるま)大師をば、わが宗鼻祖(びそ)と仰ぐなり。得々として南海に浮かび、三千里外遠く大法を震土(しんど)に伝え、黙々として、嵩山(すうざん)に九年面壁(めんぺき)なしたもう。祖師西来意(そし・せいらいい)、もとより梁王(りょうおう)も識(し)らざるところ畢竟(ひっきょう)無功徳(むくどく)。廓然(かくねん)として聖諦(しょうたい)なく、隻履(せきり)西に去ってより杳(よう)として消息なし。然りと雖(いえど)も、祖師もとこの土(ど)に来る、法を伝えて迷情を救わんがためなり。不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、直(じき)に人心を指さして、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)せしめらる。大悲恩徳極みなし。
 お釈迦さまから弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)に仏教が伝わり、さらに器から器に水を移すように受け継がれて、二十八代目の菩提達磨大師が禅の教えをひろめたので、「(臨済)禅宗の初祖(初代)」とされています。大師はしばらく南インドにとどまり、やがて遠く中国にまで仏教を伝え、黙々と嵩山にある少林寺で九年間、壁に向かって坐禅をしていました。『なぜあなたは西の国、インドからはるばる中国まで来たのですか?』ある日、大師は梁の国王、武帝と問答をしましたが、功徳を目当てに仏教に熱心な武帝には分かりません。また、仏教がありがたいのではなく、仏教を信じている武帝自身がありがたいことに気づいてもいません。大師は西へ去り消息は途絶えました。なぜ大師は遠くこの地まで来たのか。それは、ただ仏教を伝え、苦しむ人々を救うためにここに来たのです。『教えは言葉ではなく心で伝わる。自分を見つめ仏に気づきなさい』と。ありがたいこと限りありません。


 されば你(なんじ)ら言下(ごんか)に自ら回光返照(えこうへんしょう)して、更(さ)らに別処に求めざれ。身心(しんじん)と祖仏と別ならざることを知って、当下(とうげ)に無事なるべし。山僧(さんぞう)が見処(けんじょ)に約すれば、釈迦と別ならず。眼に在(あ)っては見るといい、耳に在っては聞くといい、鼻に在っては香(か)を嗅(か)ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉(しゅしゃく)し、足に在っては運奔(うんぽん)す。この何をか欠少(かんしょう)すと、宗祖 臨済禅師は呵(か)せられたり。
 自分を見つめることが大切ならば、ただちに今までの自分を振り返って、少しもよそを見ているひまはありません。さとりを開いた方々の体や心が特別なものではなく、私たちと何ら変わらないことが分かり、苦しみがなくなるでしょう。『私がみるところによれば、だれ一人お釈迦さまと違うところなどない。目で見たり、耳で聞いたり、鼻でかいだり、口で話したり、手で持ったり、足で歩くことができるではないか。何が欠けているというのか』と、臨済宗を開いた臨済禅師は修行者たちをしかりつけています。


 病(やまい)何(いず)れの所ぞや。病不自信の所にあり。即今(そっこん)聴法底(ちょうぼうてい)を識得すれば、自性すなわち無性にて、已(すで)に戯論(けろん)を離れたり。不安の心(しん)を求むるに、不可得なりと徹(てっ)してぞ、二祖安心(あんじん)は得たまえる。
 自分にないものを、あれこれ求める病気の原因はどこにあるのでしょうか。それは、自分を信じていないことにあります。キョロキョロせず、いま、ここにいる自分をしっかりとつかめば、本来の自分が決まりきったものではないと気づき、無意味に考える必要はなくなります。禅の二代目(二祖)である慧可(えか)禅師は、師である達磨(だるま)大師から『不安な心を出してみなさい。そうすれば、お前を安心させてやろう』と言われ、不安になろうと思ってもなれないことから、不安な心は自分の考え方から生まれることに気づき、心が安らかになったのです。


 寒暑たがいに移れども、慧玄(えげん)が這裡(しゃり)に生死(しょうじ)は無しと示されぬ。日日(にちにち)これ好日(こうじつ)、人人(にんにん)これ真人(しんにん)。行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐す。餓え来れば飯(はん)を喫(きっ)し、困(こん)じ来れば即ち眠る。ただ平常(びょうじょう)にして無事なれば、無事これ貴人(きにん)と悟るべし。
 時が過ぎれば、寒さと暑さが交互にやってきて移り変わっていきますが、関山慧玄(かんざんえげん)禅師は『生きるとか死ぬとか、あれこれ考えているひまはない。生きるときは精一杯に生きていれば、死ぬときはどうしたって死ぬのだから』と、生と死を区別しないで、いまを生きることの先に死ぬことがあると説きました。一日一日を一生懸命に過ごせば、良い日も悪い日もなくすべて大切な日であり、一人ひとりを見れば良い人も悪い人もなく、同じかけがえのない存在なのです。私たちは本来、行こうと思えばどこへでも行けるし、じっとしていようと思えばじっとしていればいいのです。おなかがすいたらご飯を食べ、疲れたら寝るばかり。そんなふうに何の計算もなく、ないものを求めず、いまを感謝する、そんな人こそが心安らかな人であると気づきましょう。


第三 行事仏道(ぎょうじぶつどう)

 

 正法(しょうぼう)の道 多途(たと)なれど、要約すれば、戒(かい)定(じょう)慧(え)の三学を出でず。三学は自(じ)の一心に帰し、定慧もと不二にして禅戒一如の妙道なり。
 正しい教えを身につける方法というのは多くありますが、大切なのは「戒・定・慧」という三つの教えです。悪いことをしないと自らに言い聞かせる「持戒(じかい)」、心を静かに落ち着かせる「禅定(ぜんじょう)」、自分の都合で物事を見ないようにする「智慧(ちえ)」。これらは、まさに自分が心からそうしようと思わなければできません。そして心を落ち着け、正しく物事を見るためには、本当の自分を知り、自らを戒めていくことで、自然と身につくものなのです。


 戒とは止悪修善(しあくしゅぜん)の義、人人心地(しんち)の様相なり。故に衆生仏戒(ぶっかい)を受くれば、すなわち諸仏の位(くらい)に入(い)る。位(くらい)大覚に同じうし了(おわ)る。まさに仏戒を受けんには、無始劫来(むしごうらい)の罪障 悉(ことごと)くみな懺悔(さんげ)すべし。懺悔せんと欲せば、端坐して実相を観ぜよ。衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)よくこれを消せん。已(すで)に懺悔し了(おわ)れば、身(しん)口(く)意(い)の三業(さんごう)清浄にして、方(まさ)に菩薩の大戒を受くべし。
 自らを戒めるとは、悪いことをせず良いことをする、人としての心のあり方です。ですから、だれでもこのような心で仏の教えを守るなら、さとりを得た人たちと同じ心境になるでしょう。そして自らを戒めるには、今までの悪い行いをすべて反省しなければなりません。そのためには、姿勢を正して座り、自分の行いを正直に見つめなさい。そうすれば、太陽の光によって霜(しも)や露(つゆ)が消えていくように、あらゆる罪は消えていくでしょう。反省が終わり、体も言葉も心も行いも、すべてが清らかになったところで、仏教を行うものとしての戒めを学ぶのです。


 第一 殺生するなかれ。もろもろの生命(いのち)あるもの、ことさらに殺すなかれ。自ら殺し、他をして殺さしむることなかれ。衆生仏性具(ぐ)しぬれば、すなわちいずれも仏子(ぶっし)なり。いかでか殺すに忍びんや。
 まず一つ目の戒めは、殺生をしてはいけないという教えです。人間だけでなく、ありとあらゆる命のあるものを殺してはいけないということです。自分が殺すのはもちろん、ほかの人に殺させるのもいけません。なぜなら、命あるものはすべて尊い存在であり、みんな(仏さまの子供であるような)縁によってつながっています。どうして殺すことなどできましょうか。


 第二 偸盗(ちゅうとう)するなかれ。吾等(われら)もとより空手(くうしゅ)にして、この世に来り、空手にして又帰る。一紙半銭たりと雖(いえど)も、元来吾等に所有なし。わずかに可得の見あらば、すなわち盗むと示されぬ。一切の財宝おしみなく、あまねく衆生に布施すべし。いかでか盗むに忍びんや。
 二つ目の戒めは、盗んではいけないということです。私たちはもともと何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいきます。たとえ一枚の紙、わずかなお金でさえも、もとは自分の持ち物ではなかったはずです。少しでも自分のものにできると思うなら、それは盗みにつながります。むしろ持っているものを惜しみなく、みんなに分けてあげましょう。あげたものを、どうして盗む必要があるでしょうか。


 第三 邪淫(じゃいん)するなかれ。自性元来清浄なれば、行事も自(おのずか)ら清浄なるを、梵行(ぼんぎょう)とては尊(たっと)べり。たとい夫婦の中とても、淫(みだ)らの所行あるなかれ。家庭はこれ敬愛の場(にわ)にして、子女養育の道場なり。これを乱すに忍びんや。
 三つ目の戒めは、みだらな行為をしないということです。みんなもともと心は清らかで、日常の行いも清らかなのですから、たんに欲を断つことが尊いのではありません。たとえ夫婦であっても、お互いにいい加減な扱いをしてはいけないということです。家庭は相手を敬う身近な社会であり、子供を育てる大切な場所です。これを乱しては、もったいないではありませんか。


 第四 妄語(もうご)するなかれ。得ざるを得たりと誇り、到(いた)らざるを到れりと説くことなかれ。直心(じきしん)はこれ道場なり。行住坐臥に脚下を照顧(しょうこ)し、愚の如く魯(ろ)の如く、須らく潜行密用(せんこうみつゆう)すべし。自ら独りを慎しむべく、他を欺むくに忍びんや。
 四つ目の戒めは、うそをつかないということです。分からないのに分かったと自慢し、できないのにできたと言ってはいけません。偽りのない心こそ大切なのです。毎日の生活の中で自分の行動を見つめなおし、まるで愚かで無知のようにひたすらに、人知れず自分の役割をはたしましょう。他人が見ていないところで自分を偽らないのなら、どうして他人をだます必要があるでしょうか。


 第五 飲酒(おんじゅ)するなかれ。愚痴の酒を飲むことなかれ、無明(むみょう)の酒に酔うなかれ。自性霊妙、主人公惺々(せいせい)として覚めたれば、随所に主となって、立処(りっしょ)皆(みな)真(しん)なり。自ら自性を晦(くら)まして、他をして迷惑せしめんや。
 五つ目の戒めは、お酒を飲まないということです。愚かな酒を飲んではいけません。訳の分からなくなるほど酔ってはいけません。お酒に酔うように自分に酔うことなく、冷静に自分を見つめれば、生まれながらに持っているすぐれた面に気づくでしょう。その自分の持ち味に気づいたのなら、どんな場面でもそれを活かして、どこにいても自分が主となって行動ができるのです。どうして自分が本来持っているものに気づかないで、よそに求めてしまい、わざわざ迷っていくのでしょうか。


 かくの如きの菩薩の大戒、当(まさ)に尊重し珍敬(ちんきょう)すべし。闇(あん)に明(めい)に遇(あ)い、貧人(ひんじん)の宝を得たるが如し。これはこれ われらが大師なり。今身(こんじん)より仏身(ぶっしん)に至るまで、忝(かたじけな)くも行持して、懈怠(けたい)の心なかるべし。
 これら五つの戒めを、お釈迦さまのことのように大切にしましょう。それはまるで、暗やみの中で光を見つけたように、また、貧しいときに宝物を手に入れたように、まさに自らの行いを教え導いてくれる師匠のようなものなのです。たった今から仏の教えが身につくまで、しっかりと守りつづけ、なまけることのないようにしましょう。


 定とは坐禅三昧(ざんまい)なり。外(ほか)一切善悪(ぜんなく)の境界に向って心念起らざる、これを名づけて坐となし、内自性を見て動ぜざる、これを名づけて禅となす。三昧とは正念相続なり。行も亦(また)禅、坐も亦(また)禅、語黙動静(どうじょう)安然(あんねん)として、専一に己事(こじ)を究明するは、坐禅の要諦(ようたい)にして、宗門第一の行事なり。
 「定(禅定)」とは、いいかえれば「坐禅ざんまい」のことです。良いとか悪いとか、いちいち、よそのことを考えたりしないで座ることを「坐」といい、自分自身を感情や都合にしばらないで、冷静に見つめることを「禅」といいます。また「ざんまい」とは、仏の教えを忘れずに、ひたすら続けていくことです。つまり、心をととのえて乱れないようにし続けることが「禅定」なのです。したがって、何かをしているときも心に振り回されなければ、それは禅であり、静かに座ることもまた禅なのです。そして、だれかと話していても黙っていても、動いていてもじっとしていても、日常生活をとおして心安らかに、ただひたすら自分自身と向き合うことは、坐禅をするうえで最も大事なことであり、臨済宗では最も大切に(第一に)することなのです。


 慧(え)とは智慧なり。仏智(ぶっち)なり。自我の迷妄(めいもう)を脱却して、不二の妙道に徹するなり。尽十方世界は沙門の眼(まなこ)、縦には三世を貫き、横には十方に瀰淪(みりん)して、刹土(せつど)としてわが土(ど)に非ざるなく、瞬時としてわが時光に非ざるなし。今この三界は悉(ことごと)く これわが有(う)にして、その中の衆生は皆これわが子なり。

 

衆生病(や)むが故にわれ又病む。慈悲愛憐(あいれん)せざらんや。劫石(ごっせき)たとい消(しょう)するの日ありとも、わが願力は尽きざらん。尽未来際(じんみらいさい)、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の思い、興隆仏法の志(こころざし)、寤寐(ごび)にも忘るべからず。

 

 「智慧」とは、自分勝手な思い込みから抜け出して、物事をあるがままに見ていくことです。あらゆることを自分のこととしてこの世界を見つめれば、どんなときでも自分の大切な時間であり、どんなところでも自分の大切な場所であると考えられるでしょう。お釈迦さまもおっしゃっています。『この世界がことごとく私に関わるものだと考えれば、そこにいる生きとし生けるものは、すべて私の子供のように大切なものではないか』と。


 また、維摩居士(ゆいまこじ)というお釈迦さまの弟子の方も、『人々が悩み苦しんでいるからこそ、私もまた同じように悩み苦しむのである』と言われたそうです。なんと思いやりのある優しさではないでしょうか。たとえ大きな岩を布きれでこすって消えるような日が来るとしても、人々を救おうという私(たち)の願いは消えることはないでしょう。この先ずっと、受けた恩に報いようと感謝の心を持ち、仏教が人々にひろまっていくよう努めることを、寝ても覚めても忘れてはいけません。

 

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http://www.tees.ne.jp/~houjuzan/index.html

 

 

 

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臨済宗 妙心寺派  天徳山 龍門寺  揖保西国第十番

 

 

 

http://www.ryomonji.jp/introduction.html

 

 

 

   住職・大衆禅道場師家  河野太通老大師

 

 

 

   宗門安心章法話          

 

 第1の章

 

 http://www.ryomonji.jp/howa1.html          

 

           

 

 第一 信心帰依(しんじんきえ)      

 

           

 

  万劫(まんごう)にも受け難きは人身、億劫(おくごう)にも逢い難きは仏法なり。われら今さいわいに受け難き人身を受け、会い難き仏法に遇う、宿善のいたすところと雖(いえど)も、仏祖広大の恩徳に依らざるなし。いかでか歓喜(かんぎ)し踊躍(ゆやく)せざらんや。偏(ひとえ)に信心帰依の心を発(おこ)し、如説(にょせつ)に修行をはげむべし。空しく一生を過ごして、永劫(ようごう)に悔(くい)を遺すことなかれ。

 

 信は道源功徳の母にして、行善の本(もと)はすなわち帰依にあり。至心(ししん)に合掌し、篤く三宝(さんぼう)を敬うべし。三宝とは仏法僧なり。四生(ししょう)の終帰、万国の極宗、何(いず)れの世、何れの人か、この法を尊(たっと)ばざらん。人 尤(はなは)だ悪しきは鮮(すくな)し。よく教うればこれに従う。それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直うせん。  

 

 恭(うやうや)しく大法(だいほう)の渕源(えんげん)をたずぬるに、世尊(せそん)成道(じょうどう)のあかつき、玉歩(ぎょくほ)を鹿苑(ろくおん)に運ばして、五比丘(ごびく)のために親しく四諦(したい)の法門を説きたもう。三宝この時始めて世に出ず。これを現前(げんぜん)三宝と称したてまつる。

 

 世尊ひとたび涅槃(ねはん)の雲にかくれたまえば、大衆(だいしゅう)悲泣(ひきゅう)哀恋(あいれん)止み難く、或(あるい)は石に刻み、紙に写して、巍々(ぎぎ)たる光影(こうよう)を末代に偲(しの)び、或は貝葉(ばいよう)に記し、黄巻に録して、一代の説法悉(ことごと)く万世に伝う。又円頂(えんちょう)方袍(ほうぼう)の比丘衆はたけく四弘(しぐ)の願輪(がんりん)に鞭(むち)うって、上座の真威儀(しんいぎ)を、五濁(ごじょく)の末世に宛然(えんぜん)したもう。みなこれ正法(しょうぼう)護持の悲願にしてこれを住持(じゅうじ)の三宝と名づく。

 

 しかも三宝の実体は、元来人々(にんにん)自性の中(うち)に本具(ほんぐ)したれば、自ら自(じ)の覚性(かくしょう)に帰依して、念々痴闇(ちあん)の心(しん)なき、これを帰依仏無上尊(きえぶつ・むじょうそん)といい、自ら自の心法に帰依して煩悩邪見の心なき、これを帰依法離欲尊(きえほう・りよくそん)という。自ら自の柔軟心(にゅうなんしん)に帰依して、自なく他なく一切衆生と和敬(わけい)随順するを帰依僧和合尊(きえそう・わごうそん)という。もとより一体にして自性の霊妙を離れず、故にこれを一体(いったい)三宝と名づく。

 

 上来(じょうらい)三宝に三種の別ありと雖(いえど)も、仔細(しさい)に点検すればすなわち別異にあらず。偏(ひとえ)にわが大恩教主 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の成等正覚(じょうとうしょうがく)に由来し、三世一切の諸仏諸尊も、南無(なむ)釈迦牟尼仏の一念唱名の中(うち)には含ませたもう。されば朝夕(ちょうせき)随所に南無釈迦牟尼仏と、一心に唱え至心(ししん)に帰命(きみょう)したてまつるべし。

 

 至心に帰命したてまつるが故に、今よりのち、尽未来際(じんみらいさい)、誓って一切の邪魔外道(げどう)には帰依せざるべし。されば諸仏諸菩薩 無辺の願海に摂取せられて、殊勝(しゅしょう)を求めんと要せざれども、殊勝自ら至って、光明不尽の生涯を恵まるること決定(けつじょう)して疑いあるべからず。  

 

 

 

 

 

 

 

人は如何に生きるべきであろうか。

 

人間のあるべき姿はどういうものであるか、それは私どもの永遠のテーマであります。

 

「宗門安心章」からそれを学んでまいりたいと思います。

 

 

 

 まず[宗門安心章]の「宗」とは、「おおもと」ということでありまして、われわれ人間が生きる上での“依るべ”である根本的な真実のことであります。

 

ちなみに「宗」という字は“ウ”という屋根の形と “示”という神を祀るときの祭壇の形からできています。

 

お寺でいえば本堂、一般の家で申せば仏壇がまつられている仏間、或いは床の間のある本座敷きでありまして、寺や家の中の中心であり、住む人の心の拠り所になっているものであります。

 

このおおもとの真実は、すべての人間の心を貫いているもので逆に申せば、すべての人間を包み込んでいるものでありますから、決して一党一派、一宗派の思想や論説にかたよるものではありません。

 

 

 

 だからこそ「おおもと」の真実なのであります。これを「仏心」と言ってもよいのです。

 

 

 

 大事なことは、このおおもとは、われわれが自分以外のところから持ってきて、それを拠り所としようというのでなく生まれながらにしてすでに具わっているということです。

 

 

 

 歴史的なことを申しますと、中国の唐・宋時代に、天台、法相、華厳というような宗派を “教”とよび、それに対して禅門は “教外別伝”ということを主張しまして、それを“宗”といいました。

 

教説は所詮教説にしかすぎません。

 

その教説が出てきた元の心の真実は、教説とは別に心から心へ伝える外はありません。

 

それを “以心伝心”と言います。

 

しかし、このことは、教宗諸派と全く別のことを主張したというのではなく、教宗諸派の唱えている教学だけでは届かぬもの、その根源にある共通のもの、つまり「宗」を「教え」という論説でなくじかに体験によって自覚し、自覚させようとするものであります。

 

     

 

 「宗」は仏教諸派の本源であり、「門」は教宗諸派も究極的には、そこから出てそこに帰っていくところの要でありまして、禅はまさに「仏教の総府」であり、渕源であり、仏道の正門である意味で、禅宗を古来から「宗門」と呼ぶのであります。

 

門は場所の入口にかまえてあるものです。

 

ここでは、人間が生きるうえでおおもとの真実に至る道の入口であります。

 

 

 

 達磨大師は「道に入ることは多途なりー仏道に入る入口は無数にある」と申されていますが、

 

富士山への入口ならあまりある登り口を全部現地調査・研究して、どこが一番自分に良いか定めることは可能でしょうが、一度しかない人生の歩み方を定めるのに、すべての生き方を体験してみるわけにはまいりません。

 

いずれに門を設け、いずれの門から入るかによって、各宗派の宗風というものが形成されます。

 

富士山なら登山道のそれぞれによって趣が異なるようなものですが、客観的に観察すれば、どれにも良さがあり、どれでも良いはずであります。

 

しかし、すでにいま生きて人生を歩いている人間の、一人ひとりの具体的現実には客観的などあり得ません。

 

通過しなければならない門は、常に一つであり、どれか一つ選ばなければなりません。

 

こうしたときに、心の世界には幸いに緒門、緒道に通じるおおもとの入口というものがある。

 

 これが「宗門」です。

 

そして、この入口から入っていけば必ず頂上に到達することができるという確信が、この門に入る要訣であります。

 

その要訣である確信、自信はどのようにして得られるのでしょうか。

 

それを明らかにしているのが「第一信心帰依」なのです。   

 

 

 

 安心は禅門第一の眼目であります。

 

 

 

もちろん、仏法によって心に安らぎを得るのでありますが、本来具足の仏心を自覚して不動なること。

 

そしてこの人生を確乎として生き抜くことでわが宗門の一大事であります。

 

自覚安心できたらそれでもう良いわけではありません。

 

まことの自覚安心というものは、そこに留まっているものではなく、人の心に接し、世間の姿を観じて、如何にささやかな行為であっても、この世界に仏国土を出現すべく、具体的生活に実践し、おのずから創造的人生を歩もうとするものであります。

 

 

 

 「章」とは、ものごとを明らかにする文章ということであります。

 

つまり[宗門安心章]とは、 

 

宗門、すなわち人間が生きる上での根源的な真実である仏教の総府たる禅によって、安心決定し、創造的人生を歩くことを明らかにする文章ということになります。

 

 この「宗門安心章」は初学者のために、また旧参者のためにも禅門の宗旨というものを単刀直入に明らかにされたものです。

 

 それであればこそ、道に達した者も、道を志す者も常にこれを読誦して、自らの仏道の歩みを省みることにこころがけなければならないと思います。

 

   

 

 

 

人として生まれることの得難さ 

 

 

 

 仏典が示すところによりますと、われわれが住むこの地球が属する宇宙は、一つの小世界でありまして、

 

それが千体集まって小千世界、その小千世界がまた千体集まって中千世界、さらにそれが千体集まって

 

大千世界となり、これを総称して、三千大千世界と言っています。

 

 今日の科学からいいますなら、地球が属する太陽系天体は、銀河系宇宙の中にあって、銀河系宇宙の直径は約十万光年、厚さ約二万光年の円盤状で、その中に三百億以上の恒星があるといいます。

 

しかもこのような宇宙は無数で、およそ百億ぐらいあって大宇宙を形成しているというのです。まさに広大無辺としかいいようがありませんが、その全大宇宙に、どれほどの生物が存在するのでしょうか。

 

それは地球だけをとってみても無限無量といっていいでありましょう。

 

 

 

 釈尊は小指の爪の上に土を置かれて

 

「大地の土とどちらが多いか」と阿難に尋ねられました。

 

「もちろん大地の土が多いです。問題になりません」

 

「そのように人間に生まれることは得難いのだ」

 

と訓されたと『雑阿含経』は示します。

 

 

 

 また『涅槃経』にも

 

「世に生まれて人となること難し、仏世に遇うことまた難し、尚大海の中にて、盲亀の浮木に遇うが如し」

 

とあり、ご存知の有名な比喩であります。

 

目の見えない亀が、大海に漂う丸太ん棒の穴に出くわすことが難しいように、人と生まれ、仏法に出会うことは得難いのだと。

 

 まさに

 

「万劫にも受け難きは人身」でありますが、

 

その人身を受けていながら、われわれはその喜びと救いに気づくことに、また、うといのであります。

 

 

 

 

 

かけがえのないいのちの喜び

 

 

 

 「万劫」「億劫」の劫とは、四十里四方の鉄の城に、芥子粒を満たし、百年に一度その芥子粒を一粒だけ外に出す。

 

そのようにして、城の芥子粒がなくなっても劫という時間は尽きない。

 

これを芥城劫といいます。

 

もう一説ありまして、やはり四十里四方の石に百年に一度天女が降りてきて、舞い踊る。

 

その羽衣で石がすりへって磨滅しても劫という時間は尽きない。

 

これを磐石劫といいます。

 

どちらにしましても劫という時間は、想像を絶する永遠の時間であります。

 

それに万億がつくのですから、

 

途方もない永遠の時間をかけても、人間に生まれることは得難いというのです。

 

 

 

 一つの微細な原始の生命が、人間に進化形成されるには、三十数億年を要したと科学者は説きます。

 

そして、今日人類の数は五十億人といいますが、その一人は、五十兆もの生命細胞の調和集合体であるそうです。

 

一口に「いのち」といいますが、科学者は植物的生命、動物的生命、精神的生命に分類します。

 

人はこの生命の総合体でありましょうが、精神的生命細胞は百四十億あり、天才といえどもその全部を使ってはいないのだそうで、だから人間は無限の可能性を秘めているといっていいのであります。

 

 

 

 こうしてみますと釈尊は降誕されるや「天上天下唯我独尊」と叫ばれたと伝えますが、

 

この際限もなく広大な宇宙の中でも、人間に生まれたことは不可思議なことでありますし、その一人ひとりはまことに尊き存在であると思わざるを得ません。

 

その心を以て世界を見ますれば、一草一木もすべて、かけがえのない存在であったと見て取れまして

 

「光明寂照遍河沙」の思いを新たにするのです。

 

そして、人間と生まれ、そのような心を持っていたことを喜ばざるを得ません。

 

そのような人を、臨済禅師は、赤肉団上一無位の真人と呼ぶのであります。

 

 

 

 

 

今、生かされてあることの幸い

 

われら今受け難き人身を受け、逢い難き仏法に逢う。

 

宿善のいたすところと雖も、仏祖広大の恩徳に依らざるなし。

 

いかでか歓喜し踊躍せざらんや。

 

 

 

出会いはこの世の宝

 

 

 

 よき人との出逢い、ことに人生の師と仰の邂ぐ人と逅は、人間にとってかけがいのない宝であります。

 

 

 

 釈尊と同じ年に生まれたコーサラ国の王、パセナーディは、ある日釈尊にこのようなことを申しました。

 

「世尊よ、わたしのもとに、イシーダッタとプラーナという二人の工匠がいるのをご存知でしょうか。

 

彼らは、わたしの大工で、わたしは彼らに生業をあたえ、彼らはわたしによって名声を博した者です。

 

ところがある時のこと、わたしは軍旅にあって、彼らをともない、せまい家に宿ったことがあります。

 

その夜、彼らはおそくまで、世尊の説かれた法について語り合っていました。

 

さて、寝につくにあたっては、世尊のいますと聞く方向に頭をむけ、わたしの方に足をむけて寝たのです。

 

わたしは、もう、びっくりしするとともに、また、ほとほと感心したことであります。

 

彼らのわたしにたいする尊敬は,世尊に対する尊敬の比ではないのです。

 

これは、彼らが世尊の教えによってよほど素晴らしいものを与えられたからに相違ないと、思わざるをえません」(中阿含経)  

 

 かく語った粗暴で聞こえる王自身もまた、釈尊に対して誰にもおとらぬ深い敬慕の念を抱いている人でした。

 

 

 

 釈尊在世の時代も、人の一生が浮世という広漠たる大海の風波を渡ってゆくことに変わりはなかったはずです。

 

それどころか、当時のインド社会は、個人の権利が平等に認められるような時代ではなく、

 

不平等、不合理が渦巻く極端に階級差別のつよい社会でありました。

 

階級制度を擁護するバラモン教の教説の下で、人びとの心の奥には、この世は苦の世界あるというあきらめが社会通念としてありました。

 

釈尊自身もまた,この世界は苦である言われたのですから。

 

 この苦なる世にすでに人と生まれ、ずでに四苦八苦の荒波をまがりなりにも越えることができ、逢い難き釈尊のその人に遇い、人間平等、万物尊重の教えに、二人の工匠も、パセナーディ王もしたしむことができたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

輪廻転生の悪循環からの今世での脱却の法

 

 

 

 現代のわれわれは、釈尊の時代には想像もしなかったであろう受験戦争にはじまる競争社会の中で

 

人間のあくなき要求と無明が引き起こしている大気汚染、自然環境の破壊、薬物による人体の汚染、核問題、そして臓器移植に関わる脳死の問題等、あまたの社会問題をかかえる社会にいるにもかかわらず、

 

幸いにもいま生かされ、また遇い難き仏の教えに、釈尊滅後、二千五百年へだだったいま遇っています。

 

 これは、偶然の事柄ではなく、まことに「宿善のいたすところと雖も、仏祖広大の恩徳」に依るものであるといわなければなりません。

 

 宿善とは、過去の世からの善き行為ということで、「宿善のいたすところ」とは、現在の自己の良きありよは、過去の良き行為の結果であるということです。

 

だが、過去の原因による結果としての現在はまた、未来のありようを決する因であることは当然です。

 

しかしこの因果、因縁の理の真実は、さほど単純に図式化できるものではありません。

 

 釈尊在世当時のバラモン教をはじめとする多くの宗教は、前世の行為の果であると同時に、将来への因である現在を、宿命として今世では動かすことのできないものとしていました。

 

そこで、今世はあきらめ、来世に希望を託して、今世では苦行を行じたり、施しなど善根を積んで功徳力を養い、その力によって、来世は苦のない安穏栄華の生にジャンプできるとしたのです。

 

 釈尊はこのような考えに満足することはできませんでした。

 

もし来世に苦のない生活が享受できたとしても、その享楽の果報によって、その次の世にはまた苦の生がある。

 

それならば、来世が如何ほど安穏であっても、それは真の安心とはいえません。

 

このような迷いの輪廻転生は、そのこと自体が苦であって、これではまことに救われる時節はありません。

 

 

 

 釈尊が求めた真実は、この輪廻転生の悪循環からの、今世での脱却の法であったのです。

 

このことは仏教徒のふまえておかなければならない大切な事柄であります。

 

 

 

 

 

 

 

束の間の人生を賭けるよろこびとは?

 

なすべきことは、ただ、善行をなして功徳をつむ

 

 

 

 久方ぶりに釈尊を訪問したコーサラ国のパセナーディ王は、釈尊に問われました。

 

「大王よ、どこに行っておられましたか」

 

「世尊よ、王というものは、主権をにぎり、広い領土をかかえ、その保全の責任をもっているので、いろいろ王事があるものです。わたしは、ここのところ、それらの王事で忙しかったのです」

 

釈尊はじっと王の顔を見ながら、

 

「大王よ、では、こんな場合、どう思われるか。ここに信頼する者が一人、家の方から馳せ帰ってきて

 

「大王よ、いま、東のほうから、虚空のような大きな山が、すべての生きものを圧しつぶしながら、こなたに進んでまいります。大王よ、いそぎ為すべきことなしたまえ」と申し上げたとする。

 

また、そのとき、西の方からも,北の方からも,南の方からも、同じく信任する家臣たちが馳せ帰ってきて、おなじような注進があったとする。

 

大王よ、それは、恐ろしい事態であって、いうなれば、人類の破滅のときであります。

 

王は、何のなすべきことがあると思われますか」

 

「世尊よ、何のなすべきことがありましょうか。ただ、もう、生のあるあいだ、善行をなし、功徳をつむほかありますまい」

 

「大王よ、それは、たんなる喩えばなしではありません。わたしは、あえて、あなたに告げねばならない。

 

老いが王のうえにおしかかっている。死が王のうえにおしかかっいるのです」

 

「まことに、世尊よ、仰せのとおり、老いと死とは、おおいなる巌の山のように、私の一身に押しせまってきております。

 

なすべきことは、ただ,善行をなして、功徳をつむほかはなかったのでありました」

 

 

 

 これは、[雑阿含教]に説かれるところですが、、

 

今日も人びとは、生業には励み、暮らしをたて、その中でなにがしかの喜びと楽しみを求め、また得ているでありましょう。

 

しかし、日々の繁忙と、ひとときの享楽にかまかけて、真に気付かなければならぬことにうとく、なすべきことに愚かであるのが人の常であります。

 

 

 

 

 

 

 

無功徳の心でする行為こそ功徳である 

 

 

 

 中国、南北朝時代の梁の武帝は、みずから袈裟を着けて、仏典を講義する程の、文武両道にぬきんで板人でした。

 

それだけにダルマさんの渡来を知ると、礼を厚くして迎え、自信とともに誇らしげに尋ねました。

 

「私はいままで、多くの寺を建て、経典も出版し、貧者を救い、沢山の僧を養成してきました。どのような功徳がありましょうか」

 

ダルマさんが酬いたのは「無功徳ーなんの功徳もない」一句でした。

 

これは、武帝にとって青天の霹靂でした。

 

 

 

 仏法とは、世間にありながら、世間を超えた深い真実であります。

 

おかえしを求めてする善行は、慢心を積み重ねこそすれ、何の功徳にもなりますまい。

 

何の功徳をも願求するところの無い「無功徳」の心でする行為こそ、まことの功徳であったとうなずけなければなりません。

 

 

 

 世間的価値は、世間を超えた仏法の自覚をまって、はじめて真に人びとに価値あるものになってゆきます。

 

喜楽を求め、幸いを願うのが人情というものでありましょうが、確実に老い早晩死んでいく、そのわれわれが、束の間の人生を賭けて求めている幸いとは何なのでありましょう。

 

 

 

 近年、わが国は経済大国として、世界から注目され、科学技術でも、世界をリードする国の一つになりました。

 

しかし、その繁栄とはうらはらに、他の非をあげつらうことには熱心で、己れ自身を見、自己を省みるということにはまことに希薄な悲しい風潮が、蔓延してきてはいないでしょうか。

 

このことは、来る二十一世紀が ゛こころの時代゛として問われねばならぬ所以であると同時に、仏教国といわれるわが国においても、一億総不遇仏法とでもいいましょうか、

 

いかに仏法に遇うことが難事かの哀しい証でもありましょう。

 

 

 

 歌人、斉藤茂吉は、私淑していた師、伊藤左千夫が他界するや、うたいました。

 

 

 

     あかあかと一本の道とほりたり  たまきはる我が命なりけり

 

 

 

盲亀浮木の、この広大無辺な世界の中の、わが生死の日々で、人間が生きる上での、根源的価値として、生涯を託し切っていける教えに出逢い、

 

波荒れる暗夜に航路を見失った船が、灯台の火を見出した如く、具体的実践の、あきらかな道に眼を開くことができた時、

 

はじめて、その教え主と教法に逢遇した喜びと感謝が、おのずから湧き出てくるのではありますまいか。

 

そしてまた、人間として命を得たことに充足をおぼえるのであります。

 

 

 

 

 

いまの自分をどう生きるか

 

欲を去り執着を捨てて・・・

 

 

 

 釈尊は、ご存知のように当時の伝統的苦行のあらゆる方法を、逐一実践すること六年に及びましたが、

 

現実の生老病死の苦悩を除く効果は得られず、身を苦しめることが、決して心の平安につながるものでないことをさとりました。

 

しかし、もはや当時の修行方法で、頼るものはなかったのです。

 

このとき、古い仏典によれば、釈尊の心に一つのたとえが浮かんだとされています。

 

 

 

ここに三本の丸太ん棒がある。

 

一本は水にぬれた生木であり、一本は水にぬれてはいないが、やはり生木であり、もう一本は乾燥した枯れ木である。

 

どの丸太ん棒によく火を移すことができるか

 

、というものです。

 

 

 

生木とは、貪欲と執着によって汚湿されている心であり、乾燥した枯木とは、欲や執着のないない心の状態をたとえたものであります。

 

いかほど熱心に努力修行に励んだとしても、その人の心が欲と執着からはなれていないならば、目的を達成することはできない。

 

よしんばできたとしても、それは貪欲と執着の中のものに他なりません。

 

欲と執着をはなれた精神によってこそ、心の平安という目的は達せられるはずです。

 

釈尊は、ついに苦行を放棄して、現在ブッダガヤと称される地の、良く繁茂するヒッパラ樹の下に、吉祥草をしいて座を作り、諸欲をはなれて安詳として坐禅に入られました。

 

ただ、「さとりを開かずんば、たとえ死してもこの坐をたたない」という一大決心のもとに。

 

 

 

 坐すること七日、十二月八日の未明に至り、暁天にひときわ輝く金星の光が眼に入るや、忽然として悟りを開かれ、積年の疑念は一時に瓦解そ去ったのです。

 

思わず

 

「奇なるかな、奇なるかな、一切衆生悉く如来の智慧徳相を具有す」と叫ばれ

 

「草木国土悉皆成仏」なることを覚知されたことは、衆知のところであります。

 

そしてそれは

 

「わが心の解脱は不動なり。これわが最後の(迷いの)生にして、もはや(迷いの)再生あることなし」

 

と述懐される如く、確信に満ちた不動のものでありました。

 

しかし、この質的転換を果たした悟りの時の、釈尊の心理状況については、ほとんど経典は伝えていないようです。

 

[雑阿含経]などで、

 

 

 

「わが証徳せるこの法は、甚深にして難険、難解、寂静、美妙にして、尋思の境を越え、至微にして、智者のみ能く知る所なり」

 

 

 

と、釈尊みずから示されるだけです。

 

姿、形のない悟りの心そのものを、言葉でまるまる示すことは不可能です。

 

示してみても、それは相対的観念である説明にしかすぎません。

 

だから、「尋思の境を超える」といって説かれなかったのです。

 

 

 

 

 

無我なる人間性の自覚

 

 

 

 それを承知の上で臆せず、簡単に言ってしまいますなら、欲望や執着という一切の自我が、おのずから消滅していた釈尊は,計らずも、明星を見たとき、明星が自分でだったのです。

 

明星と自分は不二のなるものだった。

 

一切と不二である無我なる自己を直感てきに全身心に自覚されたのであります。

 

この自他の区別も対立意識もない、無我なる純粋な人間性こそ、仏心にほかなりません。

 

無我なればこそ、因果律の世界にいて、因果に支配されず、生死の中にいて、生死も染めることはできないのであります。

 

まさに輪廻苦からの脱却でありました。

 

 

 

 この釈尊の悟りは、人類が発生以来、二、三百万年かけて、ようやくにしてたどりついた、人間尊厳の真実の法理の自覚でありました。

 

釈尊はこの悟りを十分に一人楽しまれた後、さらにその内容を反芻静慮されて、

 

悟りの心からこの世界の道理として説き出されたのが「因縁の法、縁起の法」と呼ばれるものです。

 

 

 

 この世のすべては、無数の因と縁とのさまざまな関り合いによって存在するものであって、一切を創造する絶対的な人格神のようなものがあるわけでもなく、常住不変の個体、たとえば霊魂のようなものは存在しない。

 

すべては本来無我であって、何時生まれたことはないから、滅することもない。

 

ただ因縁によって生滅の相を取るにすぎぬということであります。

 

 因とは結果を生ぜしめる、内的直接原因となる自己の念いと行為のことであり、

 

縁とは自己以外の間接原因で、社会や自然環境のありようです。

 

これらが、互いに無数に関わって、いまのすべてであることは確実です。

 

これを釈尊は「因縁」の一語によって、端的にとらえて示されたのです。

 

肝心なことは、因縁の果として現成しているいまの自己をどう生きるかであります。

 

 釈尊に霊魂が死後存在するかしないかという質問をした青年僧に、釈尊は毒矢の比喩もって答えられています。

 

毒矢に当り苦しんでいる人が、矢を射た人物、家柄、名前、矢の種類、毒物が判明しなければ、矢を抜き去って治療しないとしたら、この人は死ぬであろう。

 

大事なことは、いま解決不可能なことに固執して論ずることではなく、いまの自己の邪悪煩悩執着を除き、法にかなった道を歩くことではないか、と。

 

 

 

 本来の自己は、父母の経験知識にすら汚されぬ無我の心であり

 

「親の生みつけたもうたのは仏心のみ」

 

(盤珪禅師)であって、ましてや「親の因果」と明確に特定づけるようなもはないことを知らなければなりません。

 

すべては、いまの自己のありように関わっています。

 

 

 

 このように、いま遇い難き仏法に遇うことができているのは、過去の自己の善き行為の結果でありますが、

 

釈尊の懊悩求道による開悟がなければなかったことでありますし、

 

その仏法を、今日まで伝えてきた祖師方の求道と、為人済度の広大な慈悲に依るものと、言うほかはないのであります。

 

 

 

 

 

迷いの人間として生まれたからこその感激

 

 

 

諸行無常の嵐の中で・・・

 

 

 

 わが南北朝時代、後醍醐天皇に仕え、楠木正成と並んで倒幕計画に主要な役割を果たして、南朝の二大忠臣と称された藤原藤房卿は天皇を奉じて笠置にたてこもりましたが、ここも幕府に追われるところとなり流浪の身となりました。

 

 このとき帝の  さしてゆく笠置の山を出しより   天が下にはかくれ家もなし  という御詠をうけて   

 

      たのむとて   この下かげを宿とせば  なお袖ぬらす松の下のつゆ   と返歌されて、

 

天下広しといえども、一国の王にすら、静穏を得ることのできる寸土すらないことを、帝と共に嘆いたのでした。

 

この歌はまた、たとえ平和な国土にいるとしても、自らが無事の人でなければ、平安な居拠はどこにもないことを暗示していたと、受け取ることができます。

 

 やがて、幸いにも建武政府の中興なりまして、後醍醐帝は迎えられて元首となり、藤原卿は、いま流に申せば恩賞局の筆頭にとなりました。

 

しかし、公家と武家との争いは絶えず帝の私的行賞が多く、まつりごとを顧みないのをいさめて官位を退いてしまいました。

 

そして、行雲流水の身となって、行方をくらまし、遂には帰ることはなかったのです。

 

 

 

 釈尊はあるとき、人生の姿を次のような比喩で,説かれています。

 

一人の旅人が、広い荒野で突然狂った象に出くわした。

 

逃げ隠れする場所も無く、幸いにも古い井戸を見つけると、藤づるが下がっていた。

 

それを伝って井戸の中に降りていくと、井戸の底には大蛇が口をあけて

 

待ちかまえているのが見えた。

 

おどろいてあたりを見ると、そこにも四匹の大蛇がいて、旅人をねらっている

 

命と頼むのは一本の藤づるだ。

 

その藤づるも、黒白のねずみが交代でその根をかじっているではないか。

 

もはや万事休す。生きた心地はない。

 

そのときふと顔をあげると蜂の巣から甘い蜜がぽたりと旅人の口へ滴り落ちてきた。

 

旅人はもはや

 

目前の危険を忘れて、蜜を貪り求めているのである。

 

 

 

 ロシアの文豪トルストイも感激したという「白黒二鼠」のたとえです。

 

 広野の旅人とは、われわれ自身に他ならず、追ってくる狂象とは、流れる時間であり、諸行無常の風でありましょう。

 

古井戸とは、生死の深淵で、その底にうごめく大蛇は死の影であり、四匹の毒蛇は、欲のことであるわれわれの肉体に起る生老病死の四苦でありましょう。

 

そして、藤づるとは、われわれの生命であり、黒白のねずみとは、夜と昼であり、したたり落ちてくる蜜とは官能的快楽であるとうなずけます。

 

まこと

 

このたくみな説示を味わいますなら、誰しも無常の想いを深くし、求道の旅を志すにはおれないのではありますまいか。

 

 

 

 

 

生まれながらに具えられている仏心に目覚める

 

 

 

 政権の中枢にいた藤房卿も人の世の無常を感じ、権力闘争ではかち得ない人間の真実を求めて、求道の旅人となったにちがいありません。

 

大灯国師の法嗣関山国師が、妙心寺の開山として任せられるや、その膝下に身をゆだねたと伝えます。

 

そして、国師が与えた「本有円成仏、なんとしてか迷倒の衆生となる」という話頭に参じました。

 

「生まれながらに円満な仏であるはずの人間が、なぜか凡夫となって迷うのか」

 

彫心鏤骨すること幾星霜、

 

時節到来し、みずから期するところあって、その心境を

 

      比の心一たび了じて曾って失せず

 

      人天を利益す  尽未来

 

      仏祖の深恩   報謝し難し

 

      何ぞ、馬腹と驢胎とに居せん

 

とうたい、その感激を吐露いたしました。

 

 

 

 生まれながらに具えられていた仏心に目覚めてみると、それは、自分がかって迷っているときも、しばしも失ったことはなかったのである。

 

そのことを肯心会得できたのです。

 

 

 

 この円満なる人間性の本質こそは、人類を永遠に利益しづけるかけがいのないものである。

 

この自覚を、

 

この歓喜を与えてくださった釈尊と祖師深恩には、いかほど感謝しても届かない、どんなに報いても足りるものではない。

 

どうして馬や驢馬の腹の中に居るような、仏心にも目覚めず、無為徒食しておれようかと、全身にみなぎる感激をうたっています。

 

 

 

 迷いの人間と生まれたからこそ、この感激があった。

 

いまは迷倒の衆生であることすら喜びであるといわんばかりの風情であります。

 

狂象も毒蛇もも顔出しできぬ歓喜踊躍ぶりです。

 

 

 

 人間社会には、もろもろの問題が現前いたします。

 

釈尊だったら、祖師だったらどう対処されるであろうかと心をくだく。

 

それが広大な仏祖の恩徳に報いる道ではありますまいか。

 

そのために、また仏祖の心を、行履を限りなく学んでいかなければならないわけです。

 

そして、現実と仏法とのかかわりを課題としていく、その一コマ一コマに、無常の風に、別調に吹かれる人間としての喜びがあるのではありますまいか。

 

 

 

 こう決してみれば、仏心本具の、ほかならぬこの凡夫に生まれえたことが、かえってかけがえのない喜びではありませんか。

 

この藤房卿こそ関山国師の法を嗣ぎ、妙心寺第二世となった授翁宗弼禅師です。

 

 

 

今日、他国に誇れるわれわれの日本の伝統文化のほとんどは、この法流に養われ、培われて今日に至っているのであります。

 

 

 

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【信心帰依の心】 信(まこと)の心に生きる

 

 

 

偏えに信心帰依の心を発し、如説に修行をはげむべし

 

ままならぬ心の故に

 

 

 

 自分の心のあり方如何によって、ものごとや、人や、世のすがたが、すっかり変わって見えてきます。

 

この心こそ自己自身でありますが、ままならぬのがこの心であります。

 

 釈尊はこの反省を、「法句経」の中で悲哀の情をもって語られています。

 

「心は独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく」 と。 

 

 そして更に、

 

「憎む人が憎む人に対し、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする」 と。

 

 人類最古の文明の一つが生まれた土地、メサポタミアの人びとが、粘土で作った書板に楔形文字で残した詩があります。

 

          きのう生まれたものが、きょうは死ぬ

 

          つかの間のうちに、人間は闇に投げ込まれ

 

          突然押しつぶされてしまう

 

          喜びに歌を口ずさむときはあっても

 

          たちまち嘆き悲しむことになるなる

 

          朝と夜とのあいだに、人びとの気分は変わる

 

          ひもじいときには亡骸のようになり

 

          満腹になると、神とも張り合い

 

          ものごとが順調にいってるときは

 

          天にも昇るなどとしゃべるくせに

 

          困ったときは地獄にも落ちそうだとわめく

 

 このメソポタミアの詩人は、自分たちの心のありさまを反省をこめて素直にうたったのですが、およそ5千年前のこの時代も、それから二千五百年後釈尊の時代も、そして今日も、なんと人間の心の基本的ありようは少しも変わっていないことを思い知らされます。

 

 

 

苦悩こそ、解脱を欲する心こそ、仏心

 

 

 

 しかし、正しくみちびかれるならば、心ほどたよりになるものはありません。

 

同じ「法句経」の中で

 

「母も父も、そのほか親族がしてくれるよりも、さらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる」とあります。

 

 釈尊は最晩年、なおも最後の旅をつづけながら、

 

「アーナンダよ、わたしは疲れた背がいたむ」と

 

たびたびもらされるようになったと伝えられます。

 

 

 

 喜んでいるかと思えば、たちまち嘆き悲しむ、正直というか、移り気というか、千変万化して止まないのが、わが心でありますが、

 

また困惑したときにその解脱の方法を、一番親身になって思ってくれるのもわが心であります。

 

このだれもが等しく持って、ひと時も離れたことのない心の真実の道理を見すえ、そこに人の拠り所を見たのが釈尊でした。

 

 

 

 明治以降、先達のご苦労によって、われわれは、より多くの原始経典に接することが可能になりました。

 

そこで感じますことは、釈尊はじつによく、人の心の機微に通暁されていたということです。

 

 釈尊がお示しになった法の一つは、いささかの妥協もない、因果律でしたが、それにあたたかい血を通わせて、かっての御自分の姿をわれわれの苦悩の中に見ているが如くに説かれているのに心打たれます。

 

 釈尊は、単に因果の道理を説いたのではなく、因果の道理にかなった人間の心と身のありようを説かれたのだと思います。

 

「仏心とは、大慈悲心 是なり」のご生涯でした。

 

 

 

 われわれは迷い、そして苦しみます。

 

そしてその苦悩から脱れ、解脱することを望みます。

 

自分も他人も

 

仏心のままにおれないことが、つらくて悲しいのです。

 

それならば、ほかならぬその苦悩こそが、解脱を欲

 

する心こそが、仏心であり、仏心が本来そなえられている証ではありませんか。

 

仏心が働くからこそ苦しくも

 

つらいのです。

 

 

 

 この仏心は万人に具えられていて、かって失われたことのないものであることの道理を深く心にうなずいて

 

いくことを信心帰依(しんじんきえ)と申すのであります。

 

そして「松のことは松に習え、竹のことは竹に習え」

 

であります。

 

これは俳諧の道の革命を唱えた芭蕉の言葉でありますが、人間のことは人間のすぐれた先達に

 

学ばなければなりません。

 

仏祖の説かれるが如く、この身心をみきわめ働かせることによって、この自己も世

 

界も限りなく高められてゆくはずであります。

 

 

 

信心不二、いま起こしている念いこそが仏心である

 

 

 

貪欲は人を害し憎悪をもたらす

 

 

 

 1940年(昭和15年)、わが国が太平洋戦争に突入する前年、喜劇王チャーリー・チャップリンは、みず

 

から監督し、二役を演じて、映画「独裁者」を製作しました。

 

ユダヤ人強制収用所を脱走したチャップリン演ずる床屋は、独裁者ヒンケル総統に似ているのを幸いに総

 

統に変装して難を逃れます。ところが、うまく総統にまちがえられた床屋は、数万の兵士と群衆の前で、スピ

 

ーチしなければならない羽目になってしまいます。床屋はおろおろしながら、細ぼそと、それでも自分の思

 

いのありったけを語り始めると、いつしか熱がこもり、自分でも驚くほどの名演説になってしまいました。そして

 

拍手と大歓声につつまれたのでした。

 

「・・・私たちは他人の幸福によって生きることを願っています。断じて他人の苦しみよってではありません。

 

憎しみあい、軽蔑しあうのは真っ平です。この世界には全人類を養うだけの富はあるのです。貪欲が人類を

 

毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招きました。・・・知識を得て人類は懐疑的になりました。思想だけがあ

 

って感情が無く、人間性が失われました。知識より思いやりが必要です。思いやりがないと暴力だけが残り

 

ます。

 

・・・人びとよ、失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し恐怖もやがて消え去り、独裁者は死に絶える。

 

大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われないのです。兵士諸君、独裁者の奴隷になるな!・・・・

 

あなた方は、人生を自由にし、美しく素晴らしいものにする力を持っているのです。その力を駆使し、貪欲と

 

憎悪を追放しよう!文化の進歩が全人類を幸福に導くように。・・・・・・」

 

 演説する独裁者ヒンケル、実は床屋に、私はチャップリンの真顔を見ました。

 

 大歓声が静まると、いままでの熱弁とは打って変わった穏やかな口調で、はるかな空の雲に向かって「ハ

 

ンナ、聞こえるかい、元気をお出し」とユダヤ人狩りを逃れて何処にいるかわからない失意の恋人に呼びか

 

けるのです。ハンナとはまた、チャップリンの実母の名前でもありました。

 

 「預言者、故郷にいられず」と言いますが、痛烈に風刺したナチス・ドイツのヒトラーのその後の狂気と、

 

50年後の現代社会をのありようを的確に予言していたチャップリンは、やがてアカ呼ばわりされてアメリカか

 

らも締め出されてしまいました。

 

 アメリカがアカデミー賞を用意して、温かくチャップリンを迎えなおすまでの20年間、スイスのレマン湖畔

 

で、失意の日々を送るチャップリンの心は、おのずと家庭へと向けられました。そして「この20年間、はじめ

 

て幸福というものを知った」と80歳をすぎてからレマン湖畔時代を述懐しています。

 

私の幸せが社会の幸せ、社会の不幸が私の不幸

 

 幸福は誰もが等しく求めるものでありましょう。

 

時代におもねず、人に媚びず、社会を厳しく風刺し批判し、阿修羅の如く仕事に打ち込んで、人びとを楽し

 

ませた青年壮年期には、必ずしも心の平安は伴なわなかったというのでしょうか。

 

 人はまた誰も迷い苦悩しない者はいません。その姿を他者から見れば、懸命な立派な生き方と映るかもし

 

れません。 いずれにしても、外境に執われて迷い、迷いからくる心の痛みに苦悩するその痛みを苦悩は、

 

実は、何ものにも執われる必要もない、やすらぎの境地へいざなう心の智慧に他なりません。

 

これを仏心というのでしょう。仏心はわれわれが本来あるべきの姿にいないと、それが自己であろうと他人で

 

あろうと同じく痛みを感じて苦渋するのです。

 

 仏心がそのようなものであってみれば、それは、褒められても増やさず、謗られても減らず、万人に具えら

 

れていて、かって失ったことのないものであることは自明の理であります。そのように身にも心にもうなずける

 

ことを悟るというのでありましよう。

 

 信心銘に[信心不二、不二信心]とうたわれるように、この迷う心が悟るのであり、それ以外に悟る心も悟り

 

の心もあるものではありません。大事なことは、いま起している念いが、ほかならぬ仏心であると気づくことで

 

す。どうしてもそうとは信じられない状態を心の病いといいます。

 

 臨済禅師が「病、不自信のところにある」説かれるところです。 わが心は元来、仏祖の心と一つであった、

 

自他不二あったと明らめ、私の幸せが社会の幸せであり、 社会の不幸は私の不幸であると見て取る心を、

 

信心帰依のこころと申すのであります。

 

 チャップリンが生きた今世紀は、科学技術の著しい発達により、人類最大の恩恵を享けています。 反面、

 

近代兵器による戦争、人間自体が生み出す公害をはじめ、いくたの不幸をももたらしています。チャップリン

 

の床屋が言うように「貪欲と憎悪を追放し、文化の進歩が人類を幸福に導く」のか、 われわれ一人ひとりの、

 

ありようにかかっていることを思うとき、信心帰依の心は、時代と場所を超えて万人が失ってなってはならぬ,

 

人間の宝のはずであります。

 

 

 

生きがいのある人生と?

 

空しく一生を過ごして、永劫に悔いを遺すことなかれ。

 

 

 

生きがいのある人生とは?

 

 ただ生存しているだけでなく、充実した人生をおくりたいとは、誰しもが願うところであります。 ある若い知

 

人が、こんなことを聞かせてくれました。役所に勤めて十数年になるが、一応順調な日々でした。家庭でも、

 

同じ職場に働く妻と子供二人にかこまれて、ごく当たり前の暮らしが続いていました。

 

ところが最近、十年一日の如き生活に、ふと空しさを感じるようになりました。いったいこのままででよいのだ

 

ろうか。ただ働く機械のように黙々と、同じレールの上を進むだけで、生きている意義があるのだろうか。

 

彼は坐禅と合気道をはじめてみました。何かを自分の意思で行い、生きている存在感、充実感をえたかった

 

のです。

 

 そんなある日、退庁したあと、合気道の道場に通い帰ってみますと、待ちくたびれた妻は、夕食の支度を

 

したまま横になって、寝息を立てていました。彼はその寝顔をしみじみと見ているうちに、新しい心のゆれを

 

感じてきたといいます。自分が不安であるように、この妻にも同じような満たされざるものがあるのではあるま

 

いか。そんなことを思うと、彼は凍りつくように唖然としたというのでありました。

 

 現代の科学技術発達の恵沢は、つい先頃の時代の人々の思いも及ばないほどに、生活便利にしました。

 

そして、人びとの身を喜ばせ、耳を楽しませ、味覚を満足させるものがますます増加しています。誰がこの人

 

生を厭いましょうか。しかしながら、外にあるものに心を奪われ、今日のように高度化した管理社会にあっては

 

人間疎外の波は、あたかも自然の如く、誰しもの上にに押し寄せてまいり、あるとき、冷徹な得体の知れない

 

深淵に望むような、不安な思いをすることがあるものです。

 

 古人は「百年三万六千日、胡蝶夢中に、空しく春を送る」と訓していますが、人間百歳を数える人が増え

 

てきた今日こそ、この戒めはまた新たな共感を懐かせます。

 

 江戸時代、一時、妙心寺派の僧であった儒学者、山崎闇斎は、会津藩主保科正之に「人生で最大の楽し

 

みは何であるか」と問われて、「私には三つの大きな楽しみがあります。 第一には、天地の間に生きとし生

 

ける

 

ものの多い中で万物の霊長と称させられ、物の道理を知ることのできる人間に生まれたということが、最大の

 

楽しみであります。その次に、世の中には治乱がある。 然るに今、太平の世に生まれて、書を読み道を学ぶ

 

ことができるのはこれまた大いなる楽しみであります。第三には、今の諸侯方、大名達は、みな深宮の内に

 

育てられて世の困苦を知らず、いたづらに酒色に耽って、一生を乱費してしまう。その中で貧賤に生まれて、

 

辛酸をなめて、 道を習い徳を養うことができるのは、この上もない楽しみである」と答えたとことであります。

 

 

 

私一個の命は、多くのものの命

 

 この返答には、人生の楽しみを外のもののみに追い求めている保科公を含めた人びとへの皮肉が込めら

 

れているように思いますが、人間に生まれて、平和な世で人としての辛酸を味わい、道を学び徳を養うことを、

 

人生の最大の楽しみとしているというのであります。 生きることのできる憂いを抱いておればこそ、人生を意

 

義あらしめるべく努めることを、人生最大の喜びとして喜べるのでありましよう。

 

 日々欠かすことなく、労務を共にするご老体を見かねたお弟子たちが、作業道具を隠してしまうと「一日作

 

さざれば、一日食らわず」という金言を吐かれたのは百丈禅師でありました。

 

 今日、飽食時代と言われるときに生きるわれわれは、一日作さずして、三日分も食らう無意義な徒食をし

 

てはいないでしょうか。

 

 わが盤珪禅師は、晩年、三度の食事毎に、その分量に大変気づかわれたそうです。健康で長生きのため

 

の食生活が提唱される今日では、ごくあたりまえのことのようですが、みんなそんなに長生きしてして、なに

 

をしようというのでしょうか。

 

 ある人が盤珪さんに問いました。

 

「そんなに食事の分量を気にされるということは、命に執着があるからではありませんか。日頃のお言葉には

 

そぐいませんが」

 

 盤珪さんは、

 

「そうではない。わしは命を粗末にはできん。君子は一日生きれば、一日世に利あり、無駄には死ねん」

 

 と言われました。

 

 われわれの命は、水や空気によって、また多くの植物の命をいただいて保たれています。 なれば、私一

 

個の命は多くのものの命であります。世に利することもなく、この命を無駄に使うほど罪なことはありません。

 

再び遇うことのない日々を無意義に送るほど、惜しむべきことはありません。

 

 自ら円満なる人格を自覚すること、すべての人に尊厳なる人格を目覚めさせてゆくこと、言葉をかえていえ

 

ば、自らも人も、仏になってゆくこと以上の人生の喜びはないといってよいでありましょう。

 

 

 

無我の心こそ人生を生きる道すじの根本

 

信は道源功徳の母にして、行善の本はすなわり帰依にあり

 

 

 

 

 

時々刻々と変わるわがこころが心一人の心

 

 最近、知人からこんな話を聞かせてもらいました。長崎に住む知人の友人で、ガンで闘病中の女性のこと

 

でした。この方は、病弱で定職に就けない夫を抱え、娘の進学を夢みて長いこと保険会社の外交契約員と

 

して頑張ってきました。

 

要領のいい人ではないが、まじめで、他人のことでもほっておけない性格だから、知り合いの人達からの励

 

ましの声も多かった。しかし、三年前のある日、疲れ果てて、とうとう倒れてしまった。直ちに入院、そして手

 

術。本人も、うすうす症状にについては察知していたらしいのですが、幸い四ヶ月で退院。自宅での静養を

 

きつく言い渡されたいたものの、入院中に受けた人びとの親切へのお返しがしたくて、まだ十分に回復して

 

いない身体で職場に復帰した。

 

 ところが、暫くの間には状況は変わっていた。折角、苦労してこしらえていた自分の顧客は、同僚の手に

 

移っていた。会社も思いがけず冷たかった。しかしそれでも何とか前に進まなければならない。疲れると、

 

時折、友人の家に立ち寄っては、一休みするのが一つの救いでもあったのであろう。

 

 そんな様子をじっと見ていた友人は、ある時尋ねてみた。

 

「そんなにまで一途なあなたをささえているのは何か」と。 

 

 そのご婦人はしばらくして言った。

 

「人生は苦なのでしょう」と。

 

 幼い時、母につれられてお寺詣りをした折、和尚さんから聞かされた言葉だという。聞いた時は分からな

 

かった。しばらくは、苦を数字の九だと思っていた。

 

 やがて父が逝き、兄達は次々と戦場に消えてゆき、そして、長崎に原爆が落ちた。直接の被害を受けな

 

かったが、成長するにつれて、和尚さんの言葉が実感として聞えはじめるようになった。そう感じると、苦し

 

みが大したものでなくなって、苦しみから逃げずに生きてきたように思うという。

 

 この頃また、病がぶりかえして再入院。ベットの上で静かに横たわっていると、いま迄気づかなかった自分

 

が少し見えてきたようなような気がする。痛いときは痛い、淋しいときは淋しい、嬉しいときは嬉しい。病気は

 

早くなおりたいし、お金も欲しいなあと素直に言えるようになった。

 

 そしたら、まわりのものの一つ一つがいとおしく、とても身近に思える。そして不思議と心が落ち着く。これ

 

まで、やれるだけは精一杯やったつもりである。これでいいのだと思う。

 

 そして、これからの残り少ない日々を大切に生きていこうと思う。病窓からは西の海を見はるかし、烏帽子

 

岳という美しい山が見える。

 

       雲ごとに姿を変える烏帽子かな   

 

       晩涼の山に向いて手を合わす

 

 こんな句を詠んだのだそうです。

 

 

 

無我の心に居ることこそ信の心

 

 お釈迦さまは、諸行無常を説かれました。諸行が無常ということは、すべて無我ということです。

 

 生まれてから滅するまで、不変の「我」というものはない。だから、時々刻々移り変ってゆく。それなのに変

 

わらないことを求めたり、変わらないと思い込んだりするから、われわれは苦しむのです。

 

変わらないのは、諸行が無常で、すべて(諸法)は無我だということだけです。

 

 元来、無我であるから、私は、去年の私と今年の私はとは多少ちがいます。今朝と今夜ともちがう、正装し

 

ている私、作務着の私、病気のとき、暑いとき寒いとき、その時その時の縁によって、時々刻々に変化する

 

のです。窓越に見える烏帽子岳もそうだ。頂上に白い雲がポッカリと浮かんでいるとき、雨雲に覆われてい

 

るとき、かすみたなびく、朝日のとき、夕日のとき、その姿を変えて止まることはない。山も私も同じ無常無我

 

を生きている。自分が病床に横たわり、すなおに無我にかえってみると、まわりの一つ一つがいとおしく、心

 

が落ち着く。これを涅槃寂静というのでしょうか。泰然と無常を生きる烏帽子岳が、親わしく有難く拝めるので

 

す。

 

 このご婦人は、格別に仏の教えを学んだわけでもありません。特別な修行を積んだわけでもありません。で

 

すから先のような仏法の道理を踏まえて、句を詠んだとは思えません。 ただ悲しいことだけれども、ガンと

 

いう病が縁になって、おのづからこのような智慧の心が蔵されているとです。

 

 信とは、辞書をひもときますと、まこと、まかせるという意味とありますが、信とは、諸行は無常で、すべては

 

無我であるという心にいることで、これがわれわれの信(まこと)の心です。

 

 諸行が無常で、すべては無我であるということ、誰が信ぜずにおられましょうや。無我であればこそ、われ

 

われは相手の立場に立ち、相手の心を理解し、相手と一つになることができる。無我はこの世界に現存す

 

るすべてのものの存在の理であり、人が生きる道すじにの根本であります。「信は道源」であります。

 

 そして、山やすべてのものに手を合せ、尊重し感謝できる心が持てる。これ以上の功徳が外にありましょう

 

か。 まさに、信は功徳の母であります。もろもろの善行もまた、無我のままの心でなければ、善行とは申せ

 

ますまい。善行を実践する心得は、無我の心に替えることにあるといわなければなりません。

 

http://www.ryomonji.jp/howa2.html#howa

 

 

 

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【久遠の法のいのち】 無常・無我の心理に生きる

 

 

 

与えられたいのちをひたすらに生きる

 

 

 

至信に合唱し、篤く三宝を敬うべし。三宝とは仏法僧なり。

 

 

 

一事に打ち込むこころの強さ

 

至心とは、まことの心、まごころをこめることでありまして、何事も信心をもってすることであります。また、何

 

もかも忘れて、一つの事に打ち込むこころでもありましょう。

 

最近聞いた話です。木枯らし吹くある黄昏、コートの襟を立てて、背をかがめて歩いていた若者は、街角

 

で易者から呼び止められました。

 

「あんた、まだ若いのになぁ、気の毒に死相が出ている」 

 

若者は、思い当たる節があったので驚き、死にたくない一心で、どうしたらいいのかと尋ねました。禅寺へ

 

でも行って修行してみたらどうか、という易者の言葉をたよりに、若者はある禅寺を訪れました。

 

来意をだまって聞いていた老僧は、若者の顔をまじまじと見て言いました。

 

「なるほどあんたは凶相をしている。そんな顔をしてはいかん。先ず、その凶相を取ってきなさい」

 

どうしたらこの凶相が取れるのか。若者の切迫した問いに老僧は、二年間、麦と大豆だけを食べるように

 

示唆しました。

 

若者は、港湾関係の仕事に従事しながら、死にたくない一心で、言われた通りに、麦と大豆だけで二年

 

間過ごしました。そして、再び寺を訪れますと、若者を見た老僧は、

 

「あんた、すっかり変わったなぁ、いい顔になった」

 

と言ったそうです。老僧が指示したのは食事のことでした。しかしそれを誠実に実行した若者の変わりよ

 

うは、老僧のおもいをはるかにこえたものでした。

 

若者は死にたくない一心から、至心に麦と大豆だけの食事に徹して、このように変わりました。

 

このことは、食物は単に身体を養うだけのものでないことと、至心の大事を教えてくれているように思えます。

 

ならば至心に合掌し、篤く三宝を敬うとは、どのような大事なのでありましょうか。

 

三宝とは仏と法と僧のことです。仏とは悟りを開いた人であり、その人の教えの内容を法といい、その教え

 

を奉ずる集団を僧といって、この三つは人生のかけがえのない宝であるというのです。

 

そこで「仏」ということですが、インド語(サンスクリット)の「ブッダ」は目覚めた人の意で、中国の漢訳家は

 

これに漢字で「仏陀」という字を当てました。のちに「陀」の字が落ちて「仏」となり、わが国では「ほとけ」と

 

訓読しました。そして、わが国の先達は「ほとけ」を「ほどける」とシャレて解釈しました。むすぼりがほどけ

 

る。氷のように固着しない、自由に水の如く流れて止まない。癒着したり、執着したりすることがない心を

 

「ほとけ」というのだというのです。

 

なに一つ自分のものと固執するもののない、無一物の自由な心の持主を仏というのであります。

 

 

 

わたしがあなた、あなたがわたし、自他不二のいのちを生きる喜び

 

 

 

庭に目をやれば、松の緑が眼に入る。上を仰げば、空の青さが、はるか彼方には海が眼に入る。目には固

 

着したなにものもないから、縁に応じて、接触したものがそのまま眼に入る。無一物の心も同様であります。

 

無文老師の授業寺のお師匠さんでもあり、琵琶の葉療法で一世を風靡した気賀の今地院の大圭和尚さん

 

は延々とは浜名湖まで続く田圃を指さして申しました。

 

「どうじゃ良い景色じゃろ、これ全部わしのところの田圃じゃ」

 

客人が驚いて、

 

「これ全部ですか」

 

「そうじゃ、いっこうに小作料を持って来よらんわ」

 

と言いました。執着しなければならない自分のものはなに一つないから、目に入るもの一切はわがものな

 

のです。

 

人間が豊かになるとは、こういうことでなければなりません。

 

わが子とて同様に、決して親の持物ではありますまい。親の思うようになるのは、生まれた時に付ける名前

 

ぐらいなもので、あとは親の思うようにいかなくて当たり前なのです。縁あっての預かりものだからこそ、子の

 

主体性を尊重し、大事に薫育し、また縁に会うては手放していかなければならないのです。それはわが子

 

の尊厳なるいのちに至心に合掌することでもありましょうか。

 

さきの若者のように、人は死に直面して、いま生きていることの尊さ、有難さを知ります。末後に臨んで、幾

 

たりの人が自己に与えられたいのちを浪費しなかったと言い得ましょうか。生身の肉体のある限り、そうたや

 

すく迷執が抜けるものではありますまい。

 

古い、かびの生えたような道歌をもち出しますが、古人は、

 

  右ほとけ 左はわれと 合す手の

 

    中ぞゆかしき 南無のひとこえ

 

とうたっていることは知られるところです。しかし、この道歌を古くさいと思うほど、現代のわれわれにとって、

 

合掌ということは、できにくいことの一つになっているのではないでしょうか。

 

右ほとけ、とは、尊厳なるいのちに目覚め得た表白であり、左はわれ、とは、わが懺悔でもありましょうか。

 

合す手、とは、純粋なわがいのちへの感謝と、わが懺悔の自覚であり、厳粛なるいのちを生きる喜びの行

 

為でもありましょう。

 

古人はまた、

 

  唱うれば われもほとけもなかりけり

 

    うらのお池で かもがジャブジャブ

 

ともうたっています。合掌して仏を敬うとは、私だけが幸せになることを願うのではない。仏もわれもこえて、

 

わたしがあなた、あなたがわたしであると気付き、自他不二の心に、お池の鴨たちのように遊ぶ人へとい

 

ざなう、美しい形でもあると思うのですが、どうでしょうか。

 

 

 

 

 

無常、無我の真実に生きる

 

 

 

この世に在るものはすべて無常、無我である

 

天地創造の主であり、この世界を支配する絶対的人格神を容れない仏教の、最も初期、すなわち釈尊在

 

世当時の信仰対象は、仏・法・僧の三宝でありました。今日もこれに変りはありません。しかし釈尊滅後、

 

仏には三種の仏(三身仏)があると考えられるようになるのですが、釈尊在世当時の仏とは、釈迦族の王

 

子として生まれ、生老病死の苦悩を抱いて29歳で出家し、35歳のとき悟りを開いて覚者となった釈迦族

 

の尊者、ゴータマ・シッダルタその人であったのです。

 

仏とは、先に述べましたように梵語ブッダ(仏陀)の漢字音写の略称で、その意味は、暗黒迷妄の世界か

 

らパッと目覚めた人、悟りを開いた人ということです。釈尊在世以前からこの尊称はあったので、平安への

 

道を求めて修行を成就し、悟りの境地に達した人に対する普通名詞ですが、釈尊は何に目覚め、何を悟

 

ったのかと申しますなら、"法"すなわち、この世界の根源的真実に目覚め、迷心妄執を断絶する道を悟っ

 

たのです。この釈尊を仏陀というわけです。

 

根源的真実の道理とは、万人が共通して認めざるを得ない究極の真実でありまして、すべてこの世に在る

 

ものは「無常」なるもの、「無我」なるものであるということです。すべてが存在するこの自然には、大自然の

 

無常・無我という摂理があり、自然界の子である人間もまた、その本質は無常・無我であり、その肉体的生

 

命と能力に限界のあることを知り、自然の摂理を侵すことなく、真実の道理の如く無常無我に生きることが

 

「涅槃」すなわち、究極的平安のよりよき生き方であると釈尊は目覚め悟られたのです。

 

後に『雑阿含経』などで、三法印、三つの真理のしるしとして、

 

諸行無常……すべてのものうつりゆくとは、これ初めの真理なり。

 

諸法無我……この世にあるもの独りあらずとは、これ次の真理なり。

 

涅槃寂静……おのれなきものにやすらいありとは、これ終りの真理なり。

 

と示されるところです。

 

 

 

「法」と「縁起」が導く仏の道

 

この真実の道理である法からするなら、当然、天地創造の神と三世を浮遊する霊魂は否定され、神に当

 

るものは「法」であり、霊魂説に代って、無我の人生観、世界観(縁起説)の創造となったのです。

 

日本仏教の現実では、某霊位とか三界万霊とかいう位牌を安置し、祭祀を催しますが、これは、バラモン

 

教などでいうところの三世に浮動する霊魂を認めてのことではなく、いまは亡き、或いはいま在るいのちに

 

対する懺悔と感謝と報恩と、みずからの寂もりのセレモニーであり、亡きものに対するいま在る者の思いや

 

りと祈りであると、私は受け取っています。

 

釈尊在世当時も、巷間あまたの神々が信じられていました。人びとはこの神々から幸福を授かるために羊

 

や牛を犠牲に供え、時には人をも犠牲にすることがあったようです。そうすることによって、願いがかなえら

 

れると信じていたのです。釈尊はこのような人びとの行為は、悲しき迷妄であると目覚められたのです。

 

そして、当時の人びとが信ずる思想や宗教が誤っていることを覚り、「法」と「縁起」という独創的見解から

 

「仏道」という実践行が展開されました。人間関係によって起るさまざまの苦悩の根を突き止めて、その除

 

去の方法を覚ったのです。

 

過去世に於ける善悪の行為の余力(業)を荷う霊魂が、現世、未来世と止ることのない車輪の如く渡ると

 

いうバラモン教の三世輪廻説は、現世の身分階級差別を肯定して、現世での改革を否定するものです。

 

釈尊滅後、約五百年ほどして、仏教を追放したインド社会は、二千年後の現在、この問題にあえいでい

 

ます。釈尊は、当時の人びとの心を深く支配していたこのような三世輪廻説を、無我の法から引き出され

 

た縁起説によって打破し、身分階級制打破を現実のものにした教団を設立しました。そして説法行脚の

 

旅が続けられたのです。

 

まず仏とは釈尊であり、仏陀となった釈尊は、人間として完成された歴史的人物であって、いたずらに

 

神秘化してはならないでしょう。釈尊がなにを如何に苦悩し、どのようにして苦しみと迷執を克服していっ

 

たかを、わたくしたちはこの現代社会にあって、この身に受けとめていかなければならないと思います。

 

 

 

 

 

人はすべて法に目覚めて仏となる

 

 

 

久遠実成の釈迦牟尼仏を拠り所として

 

前項では応身仏と称せられる歴史的人物としての釈尊について述べました。

 

思いますに、人生はこのように生きれば楽なのだと気付かれたのが、釈尊のお悟りであると言えましょう。

 

それは、ニュートンが、誰でも知っているリンゴが樹から下に落ちるという一事実から、万有引力の法則を

 

発見したように、釈尊は、暁の明星を一見して、おのずから見出された真実でありました。

 

悪魔に魂を売って若返った、かのゲーテの著『ファウスト』のファウスト博士のように、私たちも「時間よ止

 

れ」と叫びたくなるときもあります。しかし、時は刻々に流れてまいります。最も身近で、自分の意のままに

 

なりそうな、わが身すらも老い朽ちていくのをどうしようもないし、わが思いのままになるものは何一つありま

 

せん。このことは、この世に存在するすべてのものの厳たる存在の理法であって、諸行無常、諸法無我の

 

法以外に常住不変の法はなかったのです。

 

もろもろの現象は生じては滅びる。だからこそ緊張が生まれ、そこに精進努力があり、成長もあり得るので

 

あり、一時いっときが、かけがえのない尊いものと受け取れるのであります。桃紅李白と妍を競い、繚乱と

 

咲き誇る花々も、そのいのちは短くて、「花は愛惜に散り、草は忌嫌に生ずる」この無常の現象に日夜接

 

しつつ、しかも厭世観に落ちなかった釈尊が偲ばれるのです。

 

釈尊が末後に臨んで「法灯明、自灯明」と示されたことは、つとに知られるところです。

 

「私の説いた真理と、その真理に目覚めている君たち自身を拠り所としなさい」と説かれたのであって、

 

釈尊ご自身すらをも頼りにせよとはいわれなかったのですが、釈尊滅後、釈尊の教えが詳細精緻に分析

 

され、教義が煩雑化するにつれて仏教の生命が失われ、信心が涸れ、人びとの生活から仏の教えがか

 

け離れたものになってきました。こんなとき、在りし日の釈尊を偲び、慕う人びとは釈尊の遺骨を祀る仏塔

 

に集まるようになりました。

 

人それぞれに、さまざまな問題をかかえて、釈尊の舎利に相見した人びとは、釈尊の教えの本意、お悟

 

りそのものに深く思いを寄せたことでありましょう。

 

かくして、生身の釈尊を超えて永遠の過去に於いてすでに成仏し、永遠の未来に向って、生れ変り死に

 

変りして、いまなお一切衆生を救済しつづけてやまない悟りそのもの、真理そのものとしての釈尊が、い

 

きいきと蘇って来て、これを久遠実成の釈迦牟尼仏と名づけました。(『法華経』)

 

仏教の始源を歴史的観点から見ますなら、仏教は、仏陀となった釈尊から始まったのですが、これを思

 

想的に見ますなら、仏教は釈尊が悟られた「理法」から展開してきました。

 

すなわち、久遠の過去から久遠の未来に向ってつづいていて、始めもなく、終りもなく、無始無終の無限

 

の時間を貫き、ここに在ってあそこにないというものではなく、どこにでも無限の空間に広がっている真理

 

を釈尊は悟って仏になられたのであるから、その真理そのものが仏であるということです。

 

 

 

すべての人は法にふれて仏となる

 

この真理(法)を身とする仏ということで、これを法身仏(ほっしんぶつ)といっております。この法身仏を具

 

体的にいいますなら、時間的にも空間的にも際限のないこの宇宙こそ法身仏でありまして、この宇宙に遍

 

満する宇宙大の仏がおられることになります。

 

これを更に人格的表現しましたのが、ビルシャナ仏であります。ビルシャナの原意は、太陽の如く輝ける

 

ものということで、ビルシャナ仏とは、理法そのものとして太陽の如く限りなく大光明を放って十方世界を遍

 

く照らしている仏ということになります。わが国では、奈良の大仏さんがビルシャナ仏でありまして、聖武天

 

皇のときに、可能な限り大きく造りましたが、本当はとてもとてもあの大きさに収まりきるものではありません。

 

『華厳経』、『梵網経』などによりますれば、ビルシャナ仏は、百千億の釈迦仏に応化して、この宇宙世界

 

のすみずみの、すべての衆生の済度するために出現されると説かれていまして、その中のお一人が、こ

 

の地球に現れたお釈迦さまであります。

 

このことは、すべての人びとは仏の教えにふれ、法に目覚めて仏になれる機会に恵まれているということ

 

で、すべての人びとが仏になれるということは、すべての人びとには「仏心」が具えられているということで

 

す。

 

ここを経典は「一切衆生悉有仏性」と示し、わが白隠禅師は『坐禅和讃』を「衆生本来仏なり」で始められ

 

るのであります。これは大乗仏教の旗じるしであると共に、大乗仏教の根源なのであります。

 

一神教文化で育った外国人が不審に思うことの一つは、クリスマスにはクリスマスを祝い、正月には神社

 

に詣でて拍手を打ち、お盆には仏壇に手を合せる多くの日本人の心情であります。

 

たしかに、宗教マニアの如き、宗教的無節操はいましめなければなりません。日本仏教徒は仏教徒とし

 

ての、しっかりした自覚と思想を持つべきであります。しかし、一見、宗教的無節操とも思える在り方は、

 

古来、山にも海にも神を見て来た日本人の心情が、久遠実成の釈迦無尼仏思想と合体して純熟した、

 

寛容な宗教観から来ているとも言えるのです。

 

悟りの眼からすれば、すべては仏と眺められる。この視点からすれば、日本の神々も、イエス・キリストも、

 

孔子も孟子も、共に菩薩とみることができましょう。

 

仏教徒の立場からすれば、キリストも人間の真実を見た菩薩であり、日本の神々は、煩悩しげき肉体から

 

いまはその身をなくして、清浄にかえった祖先としての仏と見ることができるのであって、こうした認識が有

 

るか無いかは別にしても、これが日本人一般の心情でありましょう。

 

すべては元来完成されたものであるという観点から、すべてを受容する心の発露であって、日本人の宗

 

教感情がおかしいのではなく、むしろ、世界の人びとも、こういう心の広場を持つべきでありましょう。世界

 

はいまやこのようにならなければ、真の平和的文化の創造はないのではないか。他を受け入れながら根

 

本を動かさない。これが日本仏教徒のあり方でなければならないと思うのであります。

 

宮沢賢治がうたっております。

 

  まづもろともに

 

  かがやく宇宙の微塵(ちり)となりて

 

  無方の空にちらばろう

 

 

 

 

 

あなた自身こそが三種の仏身である

 

 

 

永遠なる真理のいのちにまかせる

 

春ともなれば、草木花卉(草花)が一斉に芽吹き、さらに妍を競うが如く花を咲かせて、人びとの心を和ま

 

せます。

 

春は計らいなくして人を和らげ、意なくして万物を育成し、そのものの本性を損なうことなく全開させ、天

 

然、そのものならではの美しい装いを出現させます。

 

まことに造化の妙であり、われわれが、この世界の法(真理)の中に生かされていることを実感させてくれ

 

ます。この法こそ、大慈大悲の仏と受け取れるのでありまして、この仏は、宇宙に充満している法を身と

 

していますから、これを法身仏といいます。またビルシャナ仏と呼ぶことは、先に申しました。

 

歌人で美術史家であり、書家でもあった会津八一は、東大寺のビルシャナ仏大坐像を仰ぎ見た感動を、

 

  おほらかに

 

  もろての ゆび を ひらかせて

 

  おほき ほとけ は

 

  あまたらしたり

 

と詠んでおりますが、まさに天地に充満して、天より垂れ給うたと読み取れる表現が、ビルシャナ仏を身

 

近なものとして、感じ取れるのであります。

 

大自然に朽まずして薬草が存在するように、この世界の法は、病いに呻吟する人びとを癒し尽さずばお

 

かないという願いを持っていると受け取れるのでありまして、この法を、病むものを癒さずば仏にならぬと

 

誓われた大医王仏と拝めるのであります。また別名を薬師仏と申します。

 

また、こころ悩む者には、身を千変万化させて、友となり師となって接したもう観世音菩薩と拝めます。

 

そして、あたかも子をおもう親のように、常に人びとをつつみ込んでいるこの法を、五劫という永い時間を

 

かけて、如何にして衆生を救おうかと考察し、死後の不安に心落ちつかぬ人びとに、真理の命は永遠

 

であり、このいのちにまかせるなら、なにも不安はないと決定させ、兆戴永劫にわたる衆生済度の実践

 

をされているアミダ(限りないいのちと光の)仏と拝することができるのです。

 

これらの限りない衆生済度の実践の果報によって仏になられたということで、これら諸仏を、報身仏(ほ

 

うじんぶつ)と呼ぶのです。

 

そして、この娑婆世界に住まうものたちを済度するために、その悩みに応じて、現実の人間に化身され、

 

人間の肉声を以て法を説かれたのが、釈尊であり、祖師方であると拝せます。この方々を応(化)身仏

 

(おうじんぶつ)と呼ぶのです。

 

 

 

仏の三身は一心に帰する

 

亡くなった方を「ほとけさん」と呼ぶことがありますが、生前は迷妄の発生源でありました肉体を失った

 

今は迷いも失せ、生ずることもなく、仏の世界に還られた、という生存者の思いから、敬意を表して

 

「ほとけさん」と呼ぶのです。

 

以上のように、大乗仏教教学では、仏を三つに分けて説くのですが、わが臨済禅師は、この仏の三身

 

は、われわれの一心に帰することを示されていまして、われわれに、また別調の風に吹かれる趣きを

 

与えてくれます。

 

「経綸の専門家は、この仏の三身を仏法の究極としている。しかし、そうではない。君たちの心に具わ

 

った清浄の光が、君たち自身の法身仏なのだ。君たちの心に具わった思慮分別を超えた光が、君た

 

ち自身の報身仏なのだ。また君たちの心に具わった差別の世界を超えた光が、君たち自身の化身仏

 

なのだ。この三種の仏身とは、今わしの面前で説法を聴いている君たちそのものなのだ」

 

信じるも信じられぬもない、無条件の疑う余地のないこの真理の世界に身を投げ入れて、清浄な自己

 

の心にいるなら、そのわたしたちの心が法身ビルシャナ仏であり、現実の環境の中で、人びとと痛みを

 

分かち合い、楽しみを共にし、利害損得の分別心を超えて無心に力を合せて、社会に奉仕することが

 

できるならば、そのわたしたちの心が、報身観世音菩薩、地蔵菩薩であり、自他の区別を超えて、世

 

界と自己とは一つのものであるという自覚から、仏国土の建設にはげみ無我でいることができるならば

 

そのわたしたちの心がほかならぬ化(応)身仏だということであります。

 

畢竟、仏の三身とは、釈尊成道のお悟りの心から生れたものであり、仏典に説かれる十方三世の諸

 

仏諸菩薩方は、釈尊のお悟りの心の人格化であります。

 

そして、臨済禅師は「この三種の仏身とは、今わしの面前で説法を聴いている君たちそのものなのだ」

 

と直指して、とかく自らを信じきれない自信不及の仏道を学ぶ者たちが、外に仏を求めようとする愚か

 

しさを叱咤して、釈尊のお心とわれわれの心とが、別物でないことの自覚を促して止まないのです。

 

これまた、臨済禅師の大慈大悲の仏心の現れであります。http://www.ryomonji.jp/howa3.html#howa

 

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コメント

耳なし芳一は生まれつき全盲だが琵琶法師として平家物語を漢字を見たこともないのに誰よりも上手に弾き語りすることができて壇ノ浦でほろんだ平家の怨霊ですら涙するほどの鬼神も泣くほどの琵琶の名手となった。ところで琵琶はペルシャイランの王宮楽器である。どうやって日本に入ったのか。蘇我氏がペ

ルシャ王族だから2600年前ローマへ行ってローマ市民という貴族になった。その道筋がイランからエジプト、リビア(昔カルタゴ)陸路を進み途中ユダヤ人を一行に加えた。エジプトではおつきの絵師にピラミッドやラクダの絵を描かせた。祇園祭の絵が写実的なのはペルシャの王宮絵師画だから。ユダヤ人は描

けない。ローマでも市民になれない。だから祇園祭のラクダとピラミッドとスフィンクスの絵を日本に持ち込んだのもペルシャの王でローマ市民になった蘇我氏だ。カルタゴまでの陸路でローマが築いた水道などの施設を見てペルシャ王はローマで水道技術や硝子技術を習得した。貨幣文化も蘇我氏が技術と共に

日本に持ち込んだ。ユダヤ人はローマ市民になれなかったがペルシャ王の従僕としてローマで差別を受けることなく安楽に暮らせた。そしてペルシャ王は維摩経で釈尊から聞いた東方蓮華国瑠璃光浄土へ薬師如来さまを訪ねるべくローマを発ってシルクロードを東に下ったのである。ユダヤ人が随行した。アフガ

ニスタンの巨大な石仏や岩壁をくりぬいた仏教寺院は蘇我氏ローマ市民ペルシャ王がローマで習得した技術で築いた。シルクロードが仏教の道になっているのはペルシャ王のお陰だ。中国に仏教と太陰暦を持ち込んだのもローマ帝国元老院貴族ペルシャ大光王阿弥陀如来蘇我氏である。シーザーという戦争暴力無

法侵略者が出てくるまで共和政ローマも太陰暦だった。その間ずっと随行していたユダヤ人は独裁王国がいかなる仕組みで成り立つのか観察して、金さえあれば下克上して自分が王になって現世の世界を専制支配できると確信した。シオニストユダヤ人のテロ起源は約2600年前の中国で発生したのだ。それまで中

国は下克上戦乱の真っ最中で始皇帝がやっと統一したのだ。大光王ペルシャ王蘇我氏は仏教文化文明を広めながら中国で木造建築技術や漢字文明技術を習得して東南へ進み朝鮮半島経由で海を渡り島根県出雲市の稲佐浜に上陸した。出雲神話という歴史書の記述の始まりだ。大光王は仏さまだから元々薬師如来が統治していた豊芦原瑞穂の瑠璃光浄土蓮華国はたちまち波斯の大光王蘇我氏を全国土で受け入れたのだ。まず出雲に上陸した大光王は子供を船で北に使わして能登半島に最初に無量光寿阿弥陀経を説法したのだ。これにより能登の浄土真宗が日本の中心となり東北は津軽まで瞬く間に出雲大光王阿弥陀如来に帰依したのだ。東北弁はペルシャなまりのズーズー弁で、これは砂漠を旅するとき普段の会話で口を開けると水分が失われるから自衛のために口を開かず鼻声でしゃべったことに由来する。大光王は本州に阿弥陀如来の教えを広めたその後四国九州と教えを広めた。これが蘇我氏の正体でありペルシャの楽器琵琶の由来である。日本国へ上陸するまでユダヤ人は大光王の忠実な家来の面をかぶって下克上の野心を隠していたのだ。大陸でローマ市民貴族を殺害すればローマ帝国に草の根を分けても探し出されて処刑され一族郎党皆殺しだからね。以上かいつまんでざっと説明した通り、能登は日本の中心であり、珠洲市は能登の中心であり、正院寺と高屋は珠洲市の中心である。6月2日の珠洲市をNHKで見たが1月10日と全く同じで何も復興していない。直ちに岸田政府全員逮捕投獄して油屋和一郎かほく市長を選挙管理内閣総理にしてドル国債700兆円うっぱらって能登に50兆円無償給付して1か月でbふっきょ押させて、同時に地位協定破棄してイスラエルマグナを日本から排除するよう日本国王主権者国民岩国二代目医王豊岳正彦が日本国憲法で憲法15条下僕公務員政府に命令する。

耳なし芳一は生まれながらの盲だが琵琶を与えられて平家物語を琵琶法師が弾き語りするのを耳で聞いただけで誰よりも上手に平家物語をすべて弾き語りして皆に聞かせる名人に成ったろ、しかも一人で全国を旅してまわることもできた。盲人でも健常者より優れた人になれるのさ。このみみなしほういちのものがたりをにほんごでかいたのは、
ラフかディア・ハーンこと小泉八雲だよ。外国人でも日本に帰化して勉学すればこのように立派な日本文が書けるのだ。すべて耳から聞き覚えて丸暗記するのが学習なのさwそれが出来なきゃいつまでたっても日本人にはなれないぜ、日本人の親から生んでもらってなければねw
平家物語は平安末期だから織田信長より200年昔だが、琵琶法師の全国行脚のおかげで織田信長も幸若舞敦盛を歌って舞うことができたのだ。すべて日本人ご先祖様のおかげだねw

お前の匿名意見など聞く価値ないわ。犯罪が行なわれてるから刑法で断罪する。犯罪者を除去することが復旧だ。地震が天災だとしても役人が汚職すれば復旧自体が犯罪者のえさ場になって被災者国民が汚職犯罪者の人災テロで殺されるのさ。六法全書に書いてある通りだ。日本は法治国家だぜ。六法全書読め。


わしら靖国英霊の子孫はご先祖様を法を曲げて国賊にしたような戦争犯罪者の無法犯罪を許すほどあほうじゃないぜwなんせ世界一法に明るい江戸時代大岡越前は鬼平や半七の子孫だからなwこ汚い電化住宅みたいなすぐ焼ける鹿野家になど誰が住むんだばかがw電力は国策だから電線地中化も国策だ。すなわち主権者国王が国策を決定する。水道も医療も国防もすべて国王が決めると六法全書に書いてある日本語で。お前日本の義務教育終了してないぜwどっかの保育園から教育やり直して来い。学歴詐称は憲法15条違反の国家反逆罪だ刑法77条。お前の学力で理解できんなら六法全書をグーグルでお前の国の言葉に翻訳してして自国語で読んどけw日本語文盲でも自分の親や祖父母の自国語なら読めるじゃろw日本語文盲でも自分の親や祖父母の自国語なら読めるじゃろw日本語は世界一読み書きが難しいからな、土佐生まれでアメリカ育ちのジョン万次郎も漢字が読めなかったwまして外国人なら読めなくても無理もないさw

先祖伝来日本語(明治時代に福沢諭吉が捏造したニセ日本語じゃないほうw)で明治時代の日本男女の姿を生き生きと描いた文豪永井荷風の作品を日本人が朗読してくれたから聞いておけw国語は自習するものだまずは耳からw
youtube.com/watch?v=HzDlgPZJQ1w

【憲法を知らぬ日本人はこの世で最低の恥知らずだ】
hougakumasahiko.muragon.com/entry/618.html
山口県労働組合総連合(山口県労連)発行の縦10.5横7.4㎝ジャスト手帳サイズ日本国憲法を全ての6歳以上日本人に各1冊毎年無料配布するべき文科省責務を主権者国民日本国王が命令する。
日本国憲法手帳を橋川等さんがご提供くださった動画
youtube.com/watch?v=b1bxD1vLIP4&t=182s

「旧約聖書約束の地はサウジアラビア?」豊岳正彦@lyuzhngyn1
殆ど迎撃されたロケット弾三千発でトンズラするくそラエル人は、ヒズボラやイランがミサイルを一発撃つだけで約束の地から全員… ポスト米英時代
asyura2.com/23/cult47/msg/770.html#c4

世界の大国ブラジル大統領が国連事務総長へ人権と法益を守るよう10月11日緊急ツイートを発信した。@LulaOficial
パレスチナとイスラエルの子どもたちを守るための国際社会に対するルーラ大統領の所信表明
国連事務総長へ@antonioguterres

中東紛争における最も深刻な人権侵害に終止符を打つためにあらゆる国が資源を緊急使用すること。
世界のどこにいても、子供たちを人質にしてはならない。
ハマスは、家族から誘拐されたイスラエルの子どもたちを釈放しなければならない。
イスラエルは、パレスチナの子どもたちとその母親がエジプトと

の国境を越えてガザ地区を離れられるように、爆撃をやめなければならない。

イスラエルとパレスチナの子どもたちを守るための国際的な人道的介入による停戦が緊急に必要です。

ブラジルは、国連安全保障理事会の暫定議長国として、紛争を即時かつ決定的な終結に導くための努力に参加する。

そして、世界の平和の促進と人権の擁護のために働き続けます。
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ
ブラジル大統領
youtube.com/watch?v=gncqvSlVRm4

岸田文雄@kishida230へ
岸田総理は日本国憲法前文人道を守る国王豊岳正彦と連れ立って今すぐガザへ飛べ。@lyuzhngyn1
米ブリンケン国務長官とイスラエルネタニヤフ首相が会談 人道回廊の設置やハマスからの人質解放の交渉など協議か|TBS NEWS DIG
youtube.com/watch?v=cL6vVgCghCk
youtube.com/watch?v=Fp1u4j3aDPE
·
AFP通信によると、ハマスが奇襲攻撃したことによるイスラエルの被害は911奇襲と真珠湾奇襲を合わせたもの以上だということだ。911も真珠湾もどちらもDSの自国民殺戮偽旗奇襲テロ作戦であることが興味深いね。朝鮮戦争もイスラエル建国戦争もベトナム戦争もコソボもイラクもリビアもウクライナも。
·
ゼレンスキーはイスラエルに訪問したのかな。岸田総理も早くイスラエル訪問しなければ戦時下のウクライナに訪問した手柄が忘れ去られてしまうぜ。子供たちが今まさにガザとイスラエルで殺されている。日本人ならすぐに行って子どもたちと母親たちを全員無慈悲冷酷残虐な殺戮戦場から救い出して来い。
·
独りじゃ怖くてよう行かないなら俺が一緒に行ってやる。戦場から子供と母親全員救い出す交渉は全部俺がやってやる。日本人にできないことなどこの世にないのだ。
すぐに俺に連絡して迎えをよこせ。ぐずぐずすんな。一刻も早く地球より重い人命を危険な死地から救い出せ。
·
イスラエルが白リン弾ハマスがミサイル3000発どっちもとんでもない金持ちだ。金持ちが貧しい人々を殺してよいのか。ふざけるな。金持ちは全財産捨てて皆を助けろ。すぐ戦争やめろ。イスラエルアメリカNATOウクライナハマスのネオナチども。日本人は戦争虐殺嘘つき泥棒地上げ詐欺暴力団を絶対許さんぞ。
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岸田はすぐにガザへ行け。俺も一緒に行ってやる。上川もついてこい。自衛隊に攻撃できる命知らずはこの世にいないから自衛隊は全部隊がガザへ出動だ。すぐ迎えにこい。ぐずぐずすんな。
24時間随時電話受付年中無休診療所豊岳小児科医院院長豊岳正彦日本国王である。
0827-24-9255

女性も子供と一緒に避難するから上川女史外務大臣も戦場のイスラエルガザへ一緒に来い。助け出した人をお世話してけがの手当てをして、安全地帯からそれぞれ自衛隊機で希望国へ避難してもらう。上川外務大臣が各国と避難者受け入れ交渉せよ。
youtube.com/watch?v=gncqvSlVRm4
·
日本国の成り立ち。統治者国王が主権者国民。
国王に全体奉仕する憲法15条公務員三権分立政府の国権順位は、
立法府国会議員>司法府裁判官>行政府内閣国務大臣>行政公務員。
satokazzz.com/airzoshi/reader.php?action=aozora&id=43037

日本国憲法は国の最高法規として法律や政令の最上位に位置し、憲法が定める内容に反する法律等をつくることはできない(憲法98条)。
chuohoki.co.jp/correction02/pdf/kenpo.pdf
elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION

第98条 
1 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
youtube.com/watch?v=ePPDNN_QxME

第20条 
1.信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第15条
3.公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4.すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

に違反し、党議拘束や威迫・暴力などで選挙人の投票に圧迫を加えれば憲法20条違反政教一致である。

日本国憲法前文(抄)

youtube.com/watch?v=q4Vgy0B3FGk


日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言確定

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

第二章 戦争の放棄
第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.国の交戦権は、これを認めない。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを 誓ふ。
昭和21年11月3日公布昭和22年5月3日発布施行
youtube.com/watch?v=90QN-gnJbKY

すべての選挙で谷内正太郎の不正な憲法15条違反憲法76条違反憲法99条違反憲法前文違反国家叛逆外患誘致罪汚職公選法違反「選管ムサシ」を完封する「幸せの和」と不正選挙の総元締めNHKイスラエルモサドを完封する「悪魔王イスラエルよ悪を為すな」FAX送信原稿PDFセット。
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/files/scan001.pdf

政党など不要だ。エマニュエルをアメリカに帰国させる国会決議をする議員以外日本には国会議員も内閣も裁判所も不要だよ。日本の国政をエマニュエルが好き勝手に乱してるんだからな。エマニュエルが最大の外国スパイだぜ。わからんのかねw憲法見てみw

日本人は、
あらゆる人の尊い法益を嘘と暴力で毀損する、
戦争虐殺地上げ詐欺反社会無法略奪犯罪常習暴力団と汚職政府を、
父母の大慈悲仏心無我平等親孝行親切仏法に照らして絶対に許さんぞ。
mt-silver.org/BOOK/SEITEN/index.htm

そもそも製薬会社も医者も全員日本人を731部隊の丸太にして皆殺しするために存在する外資のスパイだから、日本国憲法9条違反外患誘致スパイ罪で捕まるのが当たり前だろ。
スパイの罪を自白したら国外追放で勘弁してくれるさ、多分w
日本国憲法は罪を憎んで人を憎まぬ転輪王仏法だからね。

www.ilver.org/BOOK/SEITEN/index.htm
仏教聖典
なかま
第二章生活の指針
第三節もろ人のために

「和を以て貴しとなす。あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。」
hougakumasahiko.muragon.com/entry/9.html

岸田総理は日本国憲法前文人道を守る国王豊岳正彦と連れ立って今すぐガザへ飛べ。
日本国民は国家の名誉にかけ、全力をあげて日本国憲法前文の誓いを果たす。
blog.goo.ne.jp/hougakumasahiko6th/e/5b51f2fa1d11ea24b951523069ef59b9

自衛隊の護衛艦出雲と給油艦2隻の3隻に水食糧ヘルメット防弾チョッキとオスプレイ及び自衛隊輸送ヘリを満載して直ちにエジプトへ向けて出港せよ。
エジプトからガザ地区へでっかい日の丸をすべての物資に描いて日本の自衛隊とその救援物資だと知らしめて救助活動を行う。

武器は一切不要。避難する人待機する人用の防弾チョッキにも日の丸を大きく描いておく。
youtube.com/watch?v=G0fXQGy8n1Y&t=548s

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを 誓ふ。
昭和21年11月3日公布昭和22年5月3日発布施行
銀河の憲法
youtube.com/watch?v=piECORPRJA8

日本国憲法を知らぬものは日本国民ではない。
すべて公務員は採用試験と毎年3回の定期資格確認試験を下記によって行うものとする。
【聞き流し】日本国憲法全文 (穴埋め式)
youtube.com/watch?v=l7KoUkwg_5s
・・・・・・・
https://parstoday.ir/ja/news/iran-i119790
同じ空の下で今まさに戦争屋のモサドCIAMI6の手で罪のない非武装一般人が何千何万人もアメリカ製兵器で虐殺されてるのに知らんふりかい。恥も日本国憲法も知らんのか。イスラエルの軍資金はすべて日本人がNHKに払う放送法受信料50兆円である。
youtube.com/watch?v=l7KoUkwg_5s

モサドCIAMI6は絶対に許さん!日本国王の下僕岸田林上川と国務大臣全員国会議員は全員日本国憲法前文に従って直ちにガザへ飛べ。お前らが死んでもガザの子供と母親たちを救った日本の軍神として、鬼畜米英から日本の婦女子を守るために戦った英霊が集う靖国神社に祀ってやる。
youtube.com/watch?v=piECORPRJA8

関行男神風特攻隊敷島隊隊長「KAのために死ぬ」
hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/ka-afb2-1.html
「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためと

かでいくんじゃなくて、最愛のKA[妻、海軍士官の隠語]のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう。」
日本武士道は父母恩重経である。
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html

「すべての声は訴える」を全世界の子供の教科書に掲載しよう!
hougakumasahiko.muragon.com/entry/579.html
(未発表遺稿から下関原爆展事務局書き起こし文に≪加筆≫)
こどもの原爆被爆体験詩集『原子雲の下より』の序文に寄せて
峠 三吉
すべての声は訴える

戦争略奪偏執狂モサドCIAMI6の真の親玉死の商人DS悪魔王は現在日本総務省イスラエルモサドNHKに隠れている。イスラエル大使館にはいない。悪魔王は駐日アメリカ大使ラームエマニュエルユダヤ人だ。外交官治外法権より米軍の憲法98条国際法規違反地位協定治外法権が日本国内では最強だからな。

77年前ついに日本政府を乗っ取った戦争略奪偏執狂の血に飢えた狂犬モサドは国連を作り国連軍MI6CIAを使ってパレスチナ人を殺戮攻撃しイスラエルという土地を強奪した。悪鬼の所業だ。それを日本NHKを使って焼け野原の日本人に正当化して正義の戦争と思い込ませる美談に仕立てた。もちろん大英帝国陸軍

元帥もモサド子分MI6だから親分のフェイクに協力したのだ。戦後の日本人は外国元帥天皇とNHKにみな騙された。ただ一人原爆を浴びた国語教師で詩人の峠三吉だけがすべて見抜いて「すべての声は訴える」を遺し原爆症で亡くなった。戦争と原子炉放射能は政府政権汚職人災だという真実を書き遺した峠三吉を

、MI6天皇とイルミナティNHKは世界の報道からすべてもみ消したのだ。世界はカラーTV洗脳画面電子音によって戦争殺戮略奪偏執狂政教一致カルトに支配されている。

ジョンレノンもそれに気づいて、日本国憲法前文を英訳してイマジンをうたった。だから大英帝国とバチカンでイマジンを絶対放送禁止にしたのだ。バチカンも血に飢えた狂犬政教一致カルト悪魔大王モサドのキリスト教会成立以来の子分である。

ジョンレノンの大ファンだったダイアナ妃が、地雷撲滅運動にわが身を捨てて参入しアジアの地雷原を歩いた。イギリス製の地雷だ。エリザベスMI6モサド手下筆頭DS女王は怒り狂ってダイアナ妃をパリのトンネルと病院でMI6に襲わせて殺害したのである。

全世界拡散【阿修羅: 万病退散家内幸福イチジク浣腸朝夕十日】

陽暦三一一日光陰無常の月の陰暦を思う。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/300.html#c55


あの日私はテレビでNHKのヘリが津波に取り残された病院の屋上でSOSを作って数人がへりに向かって手を振っていたのにそのまま通り過ぎて海岸で渦巻く波を撮影しテレビで流したのを見て怒髪天をつき、天地神明にかけてNHKを地上から滅ぼし去ることを誓った。

私は2000年まで9年間水戸で暮らし骨を埋めるつもりでたくさんの知己を得たが、老母の孤独を慰めるために断腸の涙を流して水戸を去り岩国で開業した。

三一一の時すべての懐かしい我が命に等しき友人たちの安否が全く不明で唯一テレビの映像だけが安否確認の最後の綱だったとき、NHKが救助を求める主権者国民を見捨てたことは天神鬼神はもとよりすべての不動明王の紅蓮の怒りをその身に与えねばならぬほどの大罪なのだ。

NHK東大慶応大三位一体解体改装公園博物館
【学校は嘘で子をみな虐殺す猫は子の毒舐めて躾り】

観月観相三一一日夜無常日月星辰花鳥風月草木国土陰暦永劫拈華微笑

私は仏教徒だから大光王仏法主権在民日本国憲法を使って明治改暦以来フリーメーソン陽暦が毒す草木国土一切衆生を仏法陰暦で解毒し治す国手国主国王である。
 

【四つ足も鳥も虫魚もみな同じ鼻糞免疫便秘結毒】
【糞は畑の宝です尿は腐れば薬です】
https://hougakumasahiko.muragon.com/entry/32.html

「万病退散家内幸福イチジク浣腸朝夕十日」

朝夕食後イチジク浣腸1日2回
朝2分きばる(トイレ混雑)夕5分きばる
7~10日間連続することで
便秘結毒動物にはない人だけ腹にどっさり詰まった宿便が
毎日朝夕少しずつ出し続けることで10日めで清浄になろう。

猫背微笑の元気の背中
元気になれば何でもできる
頭寒足熱躾平常心
万病消災解毒消厄
吉祥爽快拈華成仏

鼻くそ食べてうんこもりもり

四つ足は 嘘をつかない みなほとけ
 猫は水子の 生まれかわれり

南無三宝武勇父母無二佛 拈華微笑


http://hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-a2b0.html

http://hougakumasahiko.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/20-4cfc.html

全世界拡散【阿修羅: 万病退散家内幸福イチジク浣腸朝夕十日】

陽暦三一一日光陰無常の月陰暦を思う。

http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/300.html#c55


あの日私はテレビでNHKのヘリが津波に取り残された病院の屋上でSOSを作って数人がへりに向かって手を振っていたのにそのまま通り過ぎて海岸で渦巻く波を撮影しテレビで流したのを見て怒髪天をつき、天地神明にかけてNHKを地上から滅ぼし去ることを誓った。

私は2000年まで9年間水戸で暮らし骨を埋めるつもりでたくさんの知己を得たが、老母の孤独を慰めるために断腸の涙を流して水戸を去り岩国で開業した。

三一一の時すべての懐かしい我が命に等しき友人たちの安否が全く不明で唯一テレビの映像だけが安否確認の最後の綱だったとき、NHKが救助を求める主権者国民を見捨てたことは天神鬼神はもとよりすべての不動明王の紅蓮の怒りをその身に与えねばならぬほどの大罪なのだ。

NHK東大慶応大三位一体解体改装公園博物館
【学校は嘘で子をみな虐殺す猫は子の毒舐めて躾り】

観月観相三一一日夜無常日月星辰花鳥風月草木国土陰暦永劫拈華微笑

私は仏教徒だから大光王仏法主権在民日本国憲法を使って明治改暦以来フリーメーソン陽暦が毒す草木国土一切衆生を仏法陰暦で解毒し治す国手国主国王である。
 

【四つ足も鳥も虫魚もみな同じ鼻糞免疫便秘結毒】
【糞は畑の宝です尿は腐れば薬です】
https://hougakumasahiko.muragon.com/entry/32.html

「万病退散家内幸福イチジク浣腸朝夕十日」

朝夕食後イチジク浣腸1日2回
朝2分きばる(トイレ混雑)夕5分きばる
7~10日間連続することで
便秘結毒動物にはない人だけ腹にどっさり詰まった宿便が
毎日朝夕少しずつ出し続けることで10日めで清浄になろう。

猫背微笑の元気の背中
元気になれば何でもできる
頭寒足熱躾平常心
万病消災解毒消厄
吉祥爽快拈華成仏

鼻くそ食べてうんこもりもり

四つ足は 嘘をつかない みなほとけ
 猫は水子の 生まれかわれり

南無三宝武勇父母無二佛 拈華微笑


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